16日の読売新聞東葛面を見たら
千葉市にある旧気球連隊格納庫が
老朽化のため取り壊される、
そこで地域住民の手で見学会を行うとの記事があった。
以前から見たいと思っていたので
これを逃したら大変だということで
19日の土曜日、
現地へ行ってきた。
千葉モノレール作草部駅を降りて
都賀公園の方へ歩いて
そこから左へ。
大きな寺の建物からその倉庫が見えた。
格納庫に着き、中に入る。
その独特のドーム状の形には何か圧倒されるものがあった。
いまでは余程のことがない限り
このような建物がつくられることはないだろう。
つい最近まで倉庫として使われてきたが
老朽化により売却されて
これから解体工事がはじまる直前、
すでに他の建物が解体され始めていて、
格納庫はこれからということ。
格納庫の入り口に受付があり
そこで名前などを書き
手の消毒と検温チェックをしたら
売却先の会社名が入ったボールペンをいただいた。
また千葉市の平和学習のパンフレットも。
そこにはプリントもはさんであった。
この写真にあるマンション、
「レーベンハイム西千葉」の自治会がつくったものだった。
ここは第一格納庫があったところで
戦後に公務員住宅を経て
いまのようになったと。
住民のほうからも
戦争の記憶が風化されるなかで
この格納庫が保存できないことを
惜しむ声が多かったという。
(学習会の会場でも、プリントの内容が展示されていた。)
この格納庫からは
飛行船と同じ形状の
大きな気球が製造されて
中国戦線やノモンハン事件などで
監視や調査のために活用されたとの
資料も貼られていた。
他の地区の人からも
写真や資料なども提供があった。
上の写真にもあるように
格納庫の時代には
いまのようにシャッターの扉がなかったため
大きな扉に滑車をつけて
人力で押し開けるやり方をとっていたとのこと。
その2枚扉のレールが入口の片隅に残っていた。
そしてドームを支えていたのは
「ダイヤモンドクロス」という
複数の鉄骨を交差させることで
耐久性を高める工法だった。
(倉庫の一階より)
(鉄骨のむこうは板張りだった。)
(急な階段を登って4階部分へ。屋根の板の一部が剥がれていた。)
(同じく4階。倉庫は1階のみ使われていた。)
それにしても
昭和初期にこれだけの格納庫が建てられて
平成、令和の3つの時代を超えて
現役で使われてきたのは
他には少ない例だろう。
むしろここまでよく頑張ってくれた、
お疲れ様としか言いようがない。
また、大切にこの倉庫を活用した(株)川内倉庫と
解体前に開放してくれた積水化学工業にも
感謝をしたい。
そして前述の自治会の皆様、
本当にお疲れさまでした。
(入口の反対側から撮った旧格納庫)