(昨日のブログのつづき)
千葉市にあった旧気球連隊の格納庫の
学習会を見終えて
千葉市の平和パンフレットを見ると
近くに戦跡がたくさんあることがわかったので、
回ってみてきた。
まず、近くの作草部公園から。
草に埋もれて見づらいが
ここに陸軍歩兵学校があった跡で
門がここにあったと。
(こちらも旧陸軍歩兵学校の門跡)
(公園にある陸軍歩兵学校跡・平和之礎)
(旧気球連隊の学習会の展示より。)
モノレールをはさんで反対側にある
千葉経済大学の敷地には
旧鉄道第一聯隊の材料廠だった
建物が、県の指定有形文化財として
保存されていた。
パンフレットによると
ここで鉄道工兵の教育や
鉄道機材の修理が行われたとのこと。
戦後は大蔵省、国鉄を経て
現在に至ったと。
建造されたのは1908年(明治41年)で
中心部に柱のないアーチ型構造で
県内でも数少ない建造物。だが、
内部まで見ることが出来ないのは
ちょっと残念だが仕方がないこと。
少し歩いて千葉公園へ。
大賀ハスがある綿打池があることで有名だが
ここにも鉄道聯隊の跡がある。
これは架橋演習用の橋脚。
公園入口にある緑地事務所の敷地にあるのは
トンネル工事のドーム跡ということで、
ドーム跡の上には
鉄道聯隊の聯隊章があった。
そして右には
「元鉄道隊演習時構築せる隧道」と
全国鉄道聯隊連合会がつくった
案内版がつけられていた。
いまの新京成電鉄も
元の鉄道聯隊が敷いた線路を活用して
路線が出来たというのは知っていたが
聯隊の中心はいまの千葉公園にあったことは
全然知らなかった。
このことは
よほど鉄道か戦争の歴史に関心を持たないと
通り過ぎてしまう跡だ。
地元では戦跡のウオーキングを開催するなどして
記憶の風化を止めるべく奮闘しているが、
私もきょうの記憶を忘れることなく
さらに地元の戦争の歴史を遺す方法を
考えていきたい。