石川県知事・馳浩のやってることは維新にソックリ

なんだかプロレスの話になりそうな題名にしたが

中身は地方政治のこと。

大阪ダブル選挙で大勝した

おおさか維新の会(維新)は

創業者のひとりである橋下徹の人気をバネにして

在阪マスコミを完全に支配したとされているが

同じことが石川県でも起きているのだ。

石川テレビ制作のドキュメンタリー映画

「裸のクニ」(五百旗頭幸男監督)で、

「県議会の議場で、知事席の水差しについた

 水滴を女性職員が丁寧に拭き取るシーン」

などが肖像権の侵害にあたるとして

元プロレスラー(前衆議院議員)の馳浩知事が、

石川テレビの社長に自分の定例会見に出て来いと

「恫喝」まがいの要請を行い、

断られると3月の定例会見を取りやめたということ。

www.dailyshincho.jp

きのうの東京新聞の社説では

「公権力を持つ知事が、県民への情報発信の役割を持つ

 記者会見を”人質”に、メディアに圧力をかけているように見える」

と書いているが、圧力そのものではないのか。


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しかし、そう感じているのは

メディアと「市民」の一部であって

多くの石川県民がそう感じているかというと

どうだろうかというところが

「大阪(近畿)」のいまの状況とそっくりなのだ。

実は「裸のムラ」はまさにそのような

地元の空気(世論)を作り出すものは何なのかということを

これまでのドキュメンタリーと違った手法で

作り出されたものだ。

www.hadakanomura.jp

前の知事からいまの知事に変わるまでのドタバタに

なぜかムスリムと車を家変わりに生活する家族(バン・ライファー

も登場してなにを追及するんだと思ったら

「家父長制(パターナリズム)」なのだと。

これもまた維新のやり方と同じだ。

つまり石川県のみならず

大阪も東京も超えて

いまだに日本はこの家父長制に縛られていることを

問題にすべきではないかと。

その権化が馳浩と維新の吉村洋文や新しい大阪市長(横山)と

なればわかりやすい。

だがそれを疑問に思わなければ

メディアへの圧力も意味がわからないものとなる。

石川県の職員は知事にとっては家族同然で

「こども」のように守らなければならないといえば

「知る権利」が侵害されても仕方がないと。

スキャンダルじゃないまともな報道もできないのが

家父長制なんてブラックジョークじゃあるまいし。

しかしこのような地方政治は

決して家父長制による「家族」から外れてしまった

「ほんとうに困っている人々」を絶対に救わないどころか

憲法が掲げる「基本的人権の尊重」ですらも

ぶっ壊すことになるのだと知っておく必要がある。

後で泣くことになる前に。

shiraike.hatenablog.com