シーナ&ロケッツのドキュメンタリー(RKB毎日放送・解放区)

それにしても、番組をつくるために

取材を続けている最中に

その当事者が余命5ヶ月と知り

それでも「周りに迷惑をかけたくない」と

最後までいつも通りの仕事、というより

活動を続けて

1月29日にこの世を去った。

あまりにもカッコいいが

とても誰にもマネはできないだろう。


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きのう深夜(日曜早朝)にTBSテレビで放送された

ドキュメンタリー解放区「シーナ&ロケッツ 鮎川誠と家族が見た夢」。

日本のロック界に大きな歴史を残した

鮎川誠とシーナの夫婦、そして家族。

2015年にシーナが亡くなってその後は次女がボーカルを引き継いだ。

ロックと家族を共に大切にしていた鮎川誠は

どのような人生を歩んできたのを映像や再現などで

追いかけた1時間だったが

久留米・中州・そして北九州の若松。

故郷とロックとの出会いがあまりにも近い距離。

それ以上に鮎川誠とシーナの出会いもまた

遠いようで近すぎた距離になった。

鮎川誠は最初は「サンハウス」というバンドで

地元・福岡で活動するもまったく目が伸びず

そのうちにシーナになる前に「妊娠」「結婚」「出産」

妻の実家で暮らすようになった鮎川誠はここで

人生に大きな影響を受けるようになった。

その後にサンハウスの解散から

たまたまシーナが歌うきっかけが出来たことで

「夫婦2人で」バンド再結成そして上京、

高橋幸宏に声をかけられレコード会社を紹介してもらい、

メジャーデビューを果たす。

最大のヒットナンバーではないが

「それがわたしの素敵な夢」となったが、

シーナ&ロケッツのみならず

家族すべてが素敵な夢を共有している。

私がこれを見て思ったのは

あの中村哲のことだった。

家族のみならず周囲とのつながりを大切にして

その思いを率直に訴えられる人間関係をつくることのできる

それもまた素敵な夢。

鮎川誠がなくなっても

シーナ&ロケッツがつくったロックを

人と人とのつながりはこれからも続くだろう。

決して「家庭」じゃなくて「家族」としての

つながりを。


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