「記者は東部エラズーの空港から車でマラティアに向かった。
一面雪に覆われ、肌を刺すような冷気に包まれた。
深夜は氷点下になる。
目的地に近づくと対向車線は渋滞し、
ガソリンスタンドには行列が出来ていた。
マラティア中心部にたどり着くと、幹線道路以外に明かりはほとんどなく、
交差点では警察官が交通整理に追われていた。
毛布をかぶり歩く人、たき火を囲む住民。
そしてあちこちで白いサーチライトの明かりに照らし出された
がれきの山が浮かび上がっていた。」
6日(現地時間)未明、トルコ南部でマグニチュード7.8の
大きな自信が起きた。死者の数はトルコ・シリア両国で
3800人を超え、トルコ政府は
「1999年以来、最悪の地震被害」としており
いまでも現地では救助作業がつづき
日本政府も国際緊急救助隊・救助チームが
派遣されることになったが
ルフィがフィリピンから送還されるというニュースばかりで
いまひとつ世間(というよりマスコミが)の関心が薄い。
きのうの東京新聞夕刊社会面では
近いトルコ東南部の被災地、マラティアをルポした。
上のカッコ内の文がそれだが、さらに書き写したい。
「住宅の倒壊現場でハサン・カラさん(27歳)は祈っていた。
『私のおばが下敷きになっている。足がはさまれて動けない。
だけどきっと助かるはずだ。』
別の男性は『私たちは自分たちでいとこを助け出した。
でも、まだおじとは連絡がとれない。』とつぶやいた。
現場にいた救助隊員によると、
この現場で2人が死亡。残る住民の救助活動中だった隊員は
『考える時間もない。悲しいが、私たちは
私たちのすべきことをする』と力を込めた。
大きな揺れが2回あり、マラティアでも被害は拡大した。
2回目で自宅が全壊したトラック運転手ジャンシズさん(56歳)は
『家族は無事だったが、親しい親戚の家は全てなくなった。
生きているのはうれしいが大災害だ。
2度と起きてほしくない。』と
疲れ切った様子で話した。」(以下略)
トルコに限らず中東アジアはいま厳しい冬に入り
私たちがイメージする中近東の風景は真逆のものになっている。
だからこそ暖かい環境を整えて
少しでも命が救えるための力のための
支援が出来ればと思うが
まだ救援募金の話が来ていない。
ただ祈るしかないというのがとても悔しい。
あと1か月たてば、東日本大震災12年目の
節目の日を迎えるのだ。