絵を描くことで「震災の記憶」のバトンを次へ

(きのうのつづき)

阪神淡路大震災から26年、そして

東日本大震災から10年になり

どちらの震災を体験していない世代が

これから増えていく。

記録や資料、そして「震災遺構」があっても

これらの世代がどれだけ関心をもって

この記憶を伝えていくかが

わからなくなっている。

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18日早朝のテレビ朝日テレメンタリー2021」は

神戸市で「アトリエ太陽の子」を主宰する

画家の中嶋洋子さん。

自身の被災体験から、アトリエの絵画教室では

小学生たちに地震津波の防災ポスターを

描かせているのだ。

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子どもたちに

「もしもいまここで地震が起きたらどうする?」を

問い、イメージを感じさせて

それを絵にさせるのだ。

そこには自分と家族、そして自分の大切な人たちを

守るために何が出来るのかを

防災へのメッセージにして

以前ここで起きた大震災の記憶を

次へと語り伝えることが

出来るようにさせている。

 

「命の授業」

 

このやり方は物凄く効果がある。

自分のこととして阪神淡路大震災

考える材料が出来るからだ。

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中嶋さんは震災でアトリエの教え子(姉妹)を失っている。

だから必ずこの時期はその話をする。

そして「もしも」から「次へ」

記憶のバトンをつなぐランナーたちを増やし続けていく。

それは神戸だけではなかった。

 

東日本大震災が起きた時

宮城県気仙沼市を訪ね、

地元の子どもたちに

神戸の子どもたちが書いた画を渡し、

青空絵画教室などで絵を通じた

交流を続けている。

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その画はサクラの木だった。

神戸の子どもが被災地が雪につつまれているのを見て

絵を描くことしかできないから

サクラの絵を届けたいといったのがきっかけだという。

そして気仙沼の子どもたちも

中嶋さんとともにたくさんの絵を描き始めたのだ。

それが震災の記憶を残していくのではなく

「復興」へのきっかけをつくった。

中嶋さんが始めた活動が

その後成長して中学・高校生になり

震災の語り部になるなど

記憶を風化させない取り組みを

積極的にあの時被災者だった

「かっての」子どもたちがやっているのだ。

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そしてもうひとつ

「命の一本桜」という大きな絵を

みんなで作るプロジェクトを

中嶋さんが仕掛けて

いまでは学校・会社そして地域を超えて

拡がっている。

ピンクの絵の具で手形を押して

それがサクラの花になっている。

(上の写真の手形がそれだ。)

その花は「ぬくもり」。

みんなが集まって一つになる。

そこに温かさがあり、つながりがあり

そこから希望と夢が生まれる。

実際に中嶋さんは子どもたちから

「手形を押すとあったかいね。」を聞き

涙を流している。

 

震災の記憶を遺すことは

痛みと苦しみと悲しみが伴うことになる。

だから「忘れたい」という気持ちが

先に来てしまう。

しかし、その記憶を共有化して

本当に互いの心に寄り添う形が出来れば

次にまた災厄が起きた時は

自分たちが命を救える

新たな望みをかなえることができる。

 

「みんな熱気ムンムンでやってますよ。

 これが神戸の子やって!」

(中嶋さん)

その熱気は

いま東北でもしっかりと

受け継がれているのだ。

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(中嶋さんの作品、津波にふるさとが飲み込まれても

 けっして希望を捨てずに生き続ける決意が描かれている。)

過去の放送|テレメンタリー|テレビ朝日 (tv-asahi.co.jp)

中嶋洋子(なかじま・ようこ) | TEAM防災ジャパン (bosaijapan.jp)

死ぬまで生きてやろうじゃないか1・17 阪神淡路大震災 ~神戸からの“音”がえし~|NNNドキュメント|日本テレビ (ntv.co.jp)