学校から民主主義を育てなければダメダメ!

きのう夕方のTBSテレビ「報道特集」では

ロシアとウクライナの闘いが

依然として止まらないことで

世界的な食糧難が起こっていることを報じた。

それで思ったことがあった。

どちらにも特徴的なのは

かっては共産主義の国で、冷戦が終わってからは

民主主義の政治体制になりながら

それがまともに機能していないことにある。

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それでは、民主主義をまともに機能させるには

どうしたらいいか?

方法・手段はいくらでもあるが

意外にもみんなが考えようとしないのは

学校で民主主義を実践させることでは

ないだろうか。

先月28日の東京新聞より「民主主義のあした」より。

1月の文部科学省文科省)で記者会見を行った

一般社団法人「Voice Up  Japan」のメンバーが訴えたのは

「理不尽な校則や制服制度が多い。私たちの意見を聞いてください。」

これだった。

私の世代(50代)は校則に従うのは当たり前だったし

まして私は千葉県の東葛飾地区という

管理教育が厳しいところで中学3年間を過ごした。

どんなに厳しくても高校に行けば

多少の自由が効くからと、とにかくガマンをし続けた。

しかし会見で発言した高校生のメンバーたちは

自分たちでそれぞれの学校生活を、

仲間で比較したりしているうちに、

「今まで当たり前だったことが本当に当たり前なのか」と

疑問を感じ、

「校則とは、学校で勉強するために最低限必要なルールのはず。

 なぜ、こんなこと(髪型や制服などの身なり)まで

 縛ろうとするのか」と

釈然としない中で前述の団体をSNSで知り

昨年5月に「高校生支部」を結成し、6月に

ネットでアンケートを行い311人の回答に基づいて

意見書としてまとめ、会見に先立って

文科省に提出したのだ。

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その内容とは生徒が個性を発揮できるように

校則について生徒同士や生徒と教員が

活発に意見交換できる場を設置し、

校則改正のプロセスを明文化させることを

「提案」したのだ。

しかも校則を「ルールを改正しろ」としてではなく、

ジェンダーフリーを学校社会で当たり前にするために

「多様化を受け入れ、自己表現を尊重できる」

ようにも求めたのだ。

もちろん反発の声も耳に入ったし

「社会のルールを守るのは当然だ」と

批判の手紙も送られてきたそうだ。

しかし、メンバーの3人は口を揃えて反論した。

「目の前にある理不尽に声を上げない人間が、

 大人になってから先も声を上げることができるのか。」

校則の改善を求める行動は、

民主主義の実践をいうわけで

実際に都立の学校の校則から

ツーブロック禁止がなくなったり

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また女子の制服にもスラックスも選択できるようになるなど

校則がまさに学校民主主義によって

替えることができるようになったのだ。

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しかし、性的少数者がまだまだ制服を自由に

選択できる環境は十分とはいえない。

「学校は子どもにとって社会そのもの。

 学校を変える経験で、『社会は変えられる』という感覚を

 身につけられる。

 それなしに政治参加は進まない。」

(日本若者協議会代表理事の室橋祐貴さん。記事でもコメントより)

そういえば制服の自由化をめぐる動きは

私の世代のさらに前の世代が活発だったようなことを

漫画や小説で知ったこともある。

しかしそれらも校内暴力やら何やらで

下火になった歴史があるはずだ。

そしていま、学校という疑似社会で

民主主義の「作り方」をしっかりと生徒たちにやらせる方が

国づくりの未来に希望が出てくるし

そこから「平和の正しい作り方」につながれば

なおさら良い。

それを阻むことはまさに

独裁主義と戦争を許すこと。

そうではないのか。

 

ちなみにきのうの報道特集ではもうひとつ、

太平洋戦争(第2次世界大戦)のときの

神風特攻隊の歴史を掘り起こすことで

「国家と個」の関係を考え直す企画をやっていた。

日本もいまのロシアとウクライナと同じ時代が

あったのだ。

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