満州からの引き上げの記憶を遺すために

(きのうのつづき)

東日本大震災復興支援松戸・東北交流プロジェクト

「黄色いハンカチ」の

元代表の古宮保子さんが本を出したという記事が

2月8日の東京新聞の千葉面に出ていた。

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その題名は、

「大陸に新天地を求める 父の生きた記録 悲劇の通化事件にも遭遇」

古宮さんは今年で83歳。

お父様の吉永重夫さん(1984年没・享年83歳)は

教師を経て38歳で満州黒龍江省などの中国東北部)に渡り、

商社に就職、終戦後に赴任した現・吉林省通化市で

多くの日本人が殺害された事件に巻き込まれた。

これが通化事件だ。

「朝早くいきなり家の中の銃弾が撃ち込まれ、

 必死に身を隠したのを覚えています。

 父ら男たちは連行され、その後、

 家の中のものは全て奪われ、

 畳も持っていかれた。」(記事より)

古宮さんは当時8歳。記憶はいまでも鮮明だと。

この事件は終戦から半年後の1946年(昭和21年)2月3日に起きた。

今年で75年目になる。

 

満州からの引き上げについては

多くの人たちが体験記を残していて

本を読んだりドラマを見たりしてきたが

この事件のことは知らなかった。

元は旧日本軍が武力蜂起から始まったが

中国共産党軍が鎮圧したときに

民間人も犠牲にあったという。

吉永さんは自身の半生を原稿用紙で

271枚に及ぶ遺稿としてまとめて

娘の古宮さんがこれをそのまま書籍化させた。

事件については感情的にならずに

論理的に数字を使って記録に残したことに感心したと。

 

その数字とは中国共産党側が

通化の日本人を再調査して

「良民証」を再発行したときに

吉永さんは申請書を期限ぎりぎりに提出したら

4800番台で渡されて、

事件前の1月中旬の時には6000番台で交付を受けたことから

日系人の犠牲者1200人は間違いないようだ」と記している。

なるほど、事件前と事件後の数字を引き算したらそうなる。

 

いまでは戦争の歴史を語り伝えるといっても

細かいことになるとその詳細を

記録として遺すことは難しくなってくる。

それが意図的に捻じ曲げられたり

デマにまで発展するケースもあるはずだ。

この吉永さんは歴史学者ではないが

きちんと記録を事実として表して

遺族に引き継いだのはとても立派なことだ。

古宮さん自身もご家族の介護と

黄斑変性症のために

「黄色いハンカチ」から身を引いたが

おそらく次への世代にバトンを引き継いでほしいと

思ったのではないか。

 

「父の記録集が私的なものから

 公的なものになってほしい。」(記事より)

 

これはぜひ読まなければいけないと

Amazonなどのネットで検索したが

売っていないとの結果。

近くの本屋に取り寄せを頼んだが

版元(新風書房)に直接頼んでくれと。

在庫が少ないからだと言われた。

そして直接電話して

料金後払い(送料込み)で

やっと3月中旬に入手することが出来た。

(つづく)

旧満州の記録つなぐ 一家で通化事件に遭遇 松戸の古宮さん、父の遺稿を出版(東京新聞) 戦後の旧満州(現中国東北部)で多くの日…|dメニューニュース(NTTドコモ) (docomo.ne.jp)