12月8日はあの忌まわしい戦争の
開戦の日だった。
それにちなんでか
昨年のこの頃に日テレとTBSテレビは
戦争とその後の記憶をテーマにした
ドキュメント番組を放送した。
日テレは「バヤルタイ~モンゴル抑留72年越しのさようなら~」
TBSテレビは「ザ・フォーカス 忘れ去られた戦争 シベリア抑留の記憶」。
いずれも15日の深夜に見た。
どちらも最初は
終戦後、日本に帰れると信じていたのが
突然収容所に連れていかれ
モンゴルとソ連(当時のロシア)の国家関係の
建設のための労働力として
強制的に劣悪な環境のもとで働かされ
酷寒と栄養不良のために
大人数の死者が出た。
上の写真は「ザ・フォーカス・・・」より。
当時17歳で抑留された中島裕(ゆたか)さんが当時の記憶に
基づいて描いたものの一枚。
仲間が死んでも飢えと寒さで人間としての感覚を失い
誰もが服を脱がして自分のものにしてから
真っ裸で埋めてしまったと。
食べられるものなら自分の排泄物から未消化の雑穀を
洗って取り出したり、虫やカエルなどなんでも口にして
なにくそ、ここで死んでたまるかという思いで
3年後に帰還するまで耐え抜いたということだった。
「バヤルタイ」では85歳になる友弘正雄さんの証言。
シベリアから引き上げる途中に両足に重い凍傷を負い
モンゴルのウランバートルにある病院で
大腿部からの切断手術を受けた。
(この時のことが書かれている小説が
(「バヤルタイ」より。現在も建物が残り友弘さんも再訪している。)
「情けなかった。(抑留の時は)義足も杖もなかったから
食事やトイレも戦友たちの補助を受けなければならなかった。
申し訳ないというといいから気にするなと言われて。」
(友弘さんの証言から抜粋)
しかし、この2つの番組は悲惨な
俘虜体験だけで終わらせなかったのだ。
「ザ・フォーカス」は中島さんの他に
岐阜県で住職を務める横山周導(しゅうどう)さん(95歳)
の証言も取り上げた。
横山さんは軍隊ではなく
僧侶として満州に入植した。
そして引き揚げ後しばらくは
仲間たちを置いてきてしまった
後悔などで自らの体験を語ることができなかった。
その横山さんがシベリアの収容所跡を墓参し始めたのが1983年のこと。
戦友たちがやすらかに眠ってくれることを祈り
この歴史を語り継いでいこうと決意した。
そしてある事実を知る。
第一次世界大戦中のシベリア出兵の時の起きた
イワノフカ村事件。
日本軍が、抵抗する軍隊を掃討するという
目的で村人300人以上を殺害したのだ。
「私たちは被害者ではなく加害者でもあった
ことをはじめて知った。」
「これではあの時あんなふうにやられても
仕方ないと思った。」(いずれも横山さん)
これを知って以来横山さんはイワノフカ村の人々との
交流関係を深めて
自分の寺でこの事件による被害者の霊を悼む
法要を行っている。
「バヤルタイ」では友弘さんが日本とモンゴル人民共和国(当時)の
国交回復したのを受けて1975年から墓参活動を続け、
引き揚げ者たちの交流などを目的とした「モンゴル会」を立ち上げたことを
紹介した。
そして冷戦崩壊後に政治体制が変わったモンゴルで
貧困によるマンホールチルドレン(ホームレス)が
増えていることに心を痛めたのをきっかけに
孤児を保護して教育を受けされるための施設である
「テムジンの友塾」を設立した。
1993年から2010年までに
85人の孤児たちを受け入れて
学校に通わせて社会に送り出す事業を果たし
その一人が友弘さんと再会した。
いまではパン職人になって
子どもを持つ母親となり
自分をこのような人間に育ててくれた
すばらしい日本人がいることを語り伝えているという。
自分たちを過酷な目に遭わせてきたが
それを恨んでもしょうがないと語り
歴史を知りながらもそれは憎しみではなく
友好と平和のために活かしてほしいと
言葉にしない訴えをしているようだった。
最後の墓参で一言、それが「バヤルタイ」
モンゴル語では「さようなら」そして
「ありがとう」を意味する。
いま、日韓関係のみならず
戦争のない世界づくりのキーワードとして
「未来志向」という言葉が使われているようだが
戦争、そして抑留などによる苦しみと怒りを
越えていかに友好へと結びつけるには
やはり体験した当事者の声に耳を傾けなければ
ならないと思う。
しかし高齢による逝去が多くなり
その歴史にある真実を知る機会が
将来完全に消えてしまう時が来る。
だから残さなければならない。
2つの番組はとても貴重な存在に
なってくれると信じている。
なお「バヤルタイ」は
モンゴル人のディレクター(中京テレビの社員)が企画取材している。
70年の歴史を持つ母校(モンゴル国立大学)の校舎を建てたのが、
友弘さんたち日本人の抑留者であることを知ったことが
きっかけになったのだ。
モンゴルでは学校教育でこの歴史を教えていないのだ。