原爆の「黒い雨」でなぜ訴訟が起きたのか?

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映画で見た「黒い雨」。

8月6日の原爆のあと、

重油が降ってきた!」と言われるほど

異様な雨が当時の広島市とその周辺に降った。

その雨を浴びた人の中から

原因不明の体調不良で

死者もたくさん出た。

のちに「原爆症」ではないかと

疑われるも、

あの日に広島市街にいなかったことを理由に

被爆者として認定されなかった。

それを許せるか、許せない。

だから県と市を相手取って訴訟を起こした。

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(30日東京新聞4面)

29日、広島地方裁判所の高島義行裁判長は

「黒い雨」訴訟団に参加した原告84人(死亡者を含む・全て広島県内)の

被爆者手帳の交付の請求を認め、

ただちに県と市は交付せよと命じる判決を下した。

これまで国は特例地域を定めて

被爆者手帳を交付してきたが

判決では、それよりも広い範囲で

黒い雨が降っていたということが

関係資料によって

「相当の蓋然性(がいぜんせい)」があることを

認めたことや

原告の証言(供述)に不合理な点がなかったことと

診断書の内容から

「黒い雨による原爆症」になったと考えられるとしたのだ。

 

今回の判決がそのまま確定すれば

いまの広島市の区域の3分の2、

もっと詳しくいうと

爆心地から北東30kmまでの

黒い雨が降った場所にいた

当時の人々が被爆者として認定されるのだから

まさに戦後75年にして画期的な判決となる。

 

そしてこの判決は「長崎」「福島」にも

大きな影響をもたらすことに

なるかもしれない。

東京新聞では長崎でも

当時爆心地周辺にいなかった人にも

原爆症患者が出たことで

2次にわたる訴訟が行われてきたが

最高裁まで行って敗訴している。

しかし今後、長崎地裁で再び訴訟を起こした

一部の原告側から「追い風になる」との

声があった。

 

国はこれまで

地中などに残留放射能が検出されなかったことから

「あくまでも」黒い雨に危険性がなかったと

主張してきた。

しかし、今回の判決はこれを覆したことで

今後は福島第一原発事故による

甲状腺疾患の影響も改めて

再検討されるべきではないかと

思う。なにしろ

放医研と福島県が連携して

あの「2011・3・11」からの

検査と分析が全くできなかったという

悪しき一件がある。

 

残留放射線にこだわるよりも

あの原爆投下によって起きた

信じられない事態とその後の

身体的苦痛と健康被害

核兵器が持つ最大の罪となる。

これからも後世に語り継ぐためにも

今後の「黒い雨」のゆくえにも

注目していかなければならない。

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