裁判官を「忌避する」ということ(茨城・東海第二原発訴訟)

もし仮に、プロ野球の審判が

相手チームから多額のお金を貰っていたとしたら

とてもじゃないが許されないだろう。

それが裁判官だとなぜか許される。

どういうことかというと

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こちらのHPでは

「片方の監督が審判になるようなものだ」

原告団共同代表の大石光伸氏)

と例える言葉。

日本原子力発電(原電)の東海第二原発

運転差し止めを11都府県の住民らが求めた訴訟は

一審水戸地裁判決(2021年3月)では、

重大事故に備えて立地・周辺自治体が策定する

広域避難計画の実効性などに不備があるとして

原電に運転差し止めを命じる原告側勝訴の判決が出た。

しかし原電は控訴。その裁判を担当する

東京高裁の永谷(ながや)典雄裁判長は

「人事交流で法務省のポストを長く務め、

 国が当事者となった裁判で国側の立証活動などを担っていた。」

ということで

原告側は裁判長に自発的な辞退を求め、

26日の期限までに対応がなければ

31日の第1回口頭弁論の冒頭で

永谷氏を担当から外すよう申し立てる「忌避」の手続きを取ると

22日の集会で明らかにした。

確かにこれを放置してはいけないことだ。

原告側からは国や原電に優位に働かせるための作為だという声も

ある。裁判官の選任は慎重の上に慎重でなければならないはずが

このやり方はあまりにも杜撰そのものではないか。

これでまた逆転判決となれば

「やっぱり」ということになるし

国やそれに準ずる機関を相手に裁判を起こしても

勝てないということは

憲法上の「三権分立」に反するやり方だ。

忌避をすることは当然であるし、

東京高裁は今からでも裁判長の交替を行うべきだ。

(2017年8月撮影を再び。)

 

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