「stay home」とスピーチロック そして自粛の強要に違和感と

決して命令を受けているのではない。

あくまでも要請をしているだけのことだ。

しかし、その現実は

みんなが同じことをして

この状況から解放されるまで

我慢をしようというのに

少しでも気の緩んだ態度をとっているのがいる。

絶対に許してはならないと

まさに窮屈きわまりない。

そんな社会が望んでいないのに

出来つつある。

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東京新聞こちら特報部」の左にある

宮子あずさ氏の本音のコラム。

「stay home 家にいましょう」は

どうしても違和感がある。

そしてその違和感を大事にしているといっても良いと。

その言葉には人の行動を制止する

「スピーチロック」

身体拘束を意味するもの(言葉)を持ちうるからだと。

「家にいましょう」を自発的に

感染予防対策として実践するために

宣言しているのなら問題はなく、

むしろここから

新しく楽しむための工夫を共有できたら

素晴らしいことだが、

自粛警察という行き過ぎた行動監視や

感染者に対する非難が

負の部分として目立っている。

このことから、コロナウイルスの感染を防ぎながらも

不安による不寛容にも対応しなければならないと。

まさにその通りである。

きょう政府は緊急事態宣言の

緩和基準を定めるための指針を出すとのことだが、

既に出ている大阪府茨城県のモデルと併せて

私たち自身がその動きが加速することで

本当に不安や不満から

脱出することが出来るかどうかが

わからない。

まさに寛容な精神で

周りへの思いやりと自制心を忘れずに

日々を平穏に生きていくことを

新たに考えなければならない。

そうしないと

政府が決めたことだからといっても

自粛生活から本当に

解き放たれることが

出来ないかもしれないからだ。

 

もっともいまの政治は

コロナウイルスの検査体制や

医療崩壊を防ぐための

抜本的な改善、

そして経済支援と助成金

さらに学校の「9月入学」など

まともに解決されていないことばかりである。

この中で徐々に緩和をされても

心に漂う閉塞感がすぐになくなることが

ないと思う。

なんでこんなことで

頭を悩ませなければいけないだろうか。

せめて、

他人にとやかく言う前に

まず自分の健康管理からと

意識していかなければ。

不健康を放置すれば

気が付かないうちに

他人の心を傷つけている。

そうあってはいけないと

今、そう思う。

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