新聞うずみ火沖縄ツアー(4)

(承前)恩名岳でゲリラ戦のために配備された

少年兵・第2護郷隊員の瑞慶山良光さん。

1929年2月1日生まれで当時16歳。

大宜味村上原の出身で召集された時は

大宜見青年学校1年生だった。

良光さんは当時の体験を絵に書き記している。

f:id:shiraike:20190626072507j:plain

f:id:shiraike:20190626072643j:plain

(瑞慶山さんのたどったルート。)

f:id:shiraike:20190626073714j:plain

f:id:shiraike:20190626073345j:plain

「『第二護衛隊』の瑞慶山良光さんは、偵察に登った読谷の山から、

 海を埋め尽くす米軍の大船団を見た。日本軍は勝てるかと問う彼に

 『陸軍中野学校』出身の松崎正行中隊長は

 『慶良間で追い返せなければ勝てる見込みはないよ』と答えたという。

 その後、良光さんは、独り山中で迷い、米兵の集団に遭遇したり、

 戦車に特攻する『爆破隊』に選ばれたり、何度も死を覚悟した。

『生まれてこなければよかったと思った』と良光さんは語る。

『生まれてこなければ、死んで親を悲しませることもないから』と。

『爆破隊』の情報が米軍に漏れ、作戦中止になった直後、

『斬り込み隊』として敵陣に突撃した良光さんは、

榴弾の破片を頬に受け負傷する。

野戦病院ではろくな手当てを受けられず

どんどん痩せ細っていった。しかし手足は元気だからと

病人の世話や遺体を埋める仕事にあてられた。」

(映画「沖縄スパイ戦史」パンフレットより引用。)

瑞慶山は平和学習に積極的に協力しているが

89歳になり直接次の世代に語り伝えることが難しくなる中で

絵と文の記録から私達が証言とともにいかに

イメージを働かせて語り伝えるかが大きな課題に

なるかもしれない。

また映画では最後に良光さんが

羽地内海を望む小高い山に植えたカンヒザクラを一緒に見た

高比良義一さんは兄の義英さんについて

「護郷隊でケガがもとで亡くなった」とだけ

聞かされていたが、戦後70年が経ち

最期を知る目撃者が

ケガを負い歩けなくなった義英さんは

足手まといとなるため、軍医によって銃殺されたと

心にしまいこんだ真実を証言してくれた。

義一さんは70年以上たって

兄がどんな無念の思いで死んだかを考えると

真実を知ることが出来てよかったと。(展示資料より)

また映像ブースでは特別編として

元・少年兵の平良邦雄さんの取材記録を公開していた。

f:id:shiraike:20190626082141j:plain

詳細はマガジン9で見てもらうとして、

「今生の 別れとなるや 初陣に 身の爪髪を せめて名残に」 

「朝夕に たった一つ 握り飯 兵どもは 我先に手を」(平良さん作の短歌)

石川岳で初陣、激戦の中命からがら逃げ出しその後飛行場大隊

などの正規軍などの合流などで恩納岳がごった返し、

食料などが事欠く中で岩波壽大隊長はここをあきらめて

北上する決断をしてそれぞれの故郷(平良さんは大宜見)にかえってから

また集合がかかった時に集まろうと言って分散。

これが事実上の解散に。

故郷の山に戻り米軍の掃射作戦にあった後、家族ととも投降しようとするが、

兵士だと疑われ捕虜収容所に入れられる。

姉たちは痩せ細った弟の秀雄さんの体を案じ、泣いて抵抗したが

引き離されてしまった。

「姉達が 不意に訪れ 我見るや すすり泣きする 捕虜収容所」

「菓子を持ち 子供の如く 手をつなぎ MPすき見て そっと逃げる」(前述)

姉達はその後、田井等収容所に行き背の小さい邦雄さんに少年の着物を着せて

お菓子を持たせそれを食べながら子どものふりをしてMP(軍の警察)の前を

堂々と素通りして収容所から脱出した。

最初はトラックに飛び乗ったが途中のなにもないところで降ろされ、

そのままアダンの木の下に置いてくれと弱音を吐いた邦雄さんだが

姉達はあきらめず米軍将校の乗ったジープをヒッチハイクする。

その時邦雄さんは乗せられないと言われたので

毛布でぐるぐる巻きにして「これは荷物だ」と言い張り一緒に乗せて

隣の大保まで運んでもらったという。

その時の着物が展示されていた。

f:id:shiraike:20190626085157j:plain

平良さんはいま神奈川県厚木市に在住で甥御さんが映画を那覇の映画館で

見たことから、三上智恵監督に連絡があり相当おもしろい証言ができると

紹介されたという。映像では平良さんが戦争当時の心境を詠んだ多くの短歌の他に

独特の写実的なタッチで描かれた

直筆の絵もたくさん映し出されていて、

貴重な証言が映画の公開によって

さらに掘り起こされたといってもいい。

その平良さんも90歳になる。まさにギリギリのところで

貴重な声を見聞き出来たのは大きい。

「神を呼ぶ となえ祈るや 降る弾も うその如くに 我が身さけゆく」(前述)

さあ、いよいよやんばるの戦跡めぐりだ。

雨は依然として降り続いている。(つづく)

maga9.jp

www.onna-culture.jp