きのうに続いて沖縄のこと。
職場からの要請で休みを取り
「勝っちゃん 沖縄の戦後」(影山あさ子・藤本幸久共同監督)を
見てきた。
勝っちゃんこと山城善勝さんは
生年月日は1944年10月4日。
その6日後に那覇が「10・10空襲」で
沖縄戦が日本軍の敗色濃厚になり
本島南部への撤退に追い詰められる。
その中で勝っちゃんの両親は幼い自分を抱いて
ガマから出て米軍の捕虜になるも
両足に大きな傷を受け
左のすねはウジに食われて
「ほら、コンコンとなるでしょ。
皮から下は骨。
肉はないんですよ。」
土地や田畑が米軍に基地用地として取られていくなかで
勝っちゃんの家族は石川(現うるま市)に移り
漁師をやることになる。しかし
宮森小学校に米軍機が墜落した事故を目の当たりにしたという。
大人になるとタクシー運転手になるが
米軍を顧客にすることで
今度はコザ暴動に遭遇する。
やがて米軍物資を基地から盗み出す
「戦果アギヤー」の仲間に入り
やくざの組長に。しかし本土復帰前の
映画にもなった「沖縄やくざ戦争」に巻き込まれ
逮捕・服役に。
「農業の作業をしてたときにね、
突然背中にグサッとした感覚がしてね。
そしたら鎌を刺されたんだ。
そのときの傷がまだ背中に残ってるよ。」
映像では複数の傷跡を見た。
刑期を終えた勝っちゃんは国頭に住み
漁師を始めたが
これまで20人もの人数でやらなければならない
追い込み漁を一人で出来るようにした。
そしていまでは世界で勝っちゃんしか
この漁を出来る人はいないのだと。
いつまでやるのという質問に
「死ぬまで。死んだらこれ(一人追い込み漁)をやる人が
いなくなるからね。」
勝っちゃんはキャンプシュワブまで行って
辺野古埋め立ての反対行動をする人ではない。
しかしその人生は
第二次世界大戦後の沖縄史そのものだ。
「わたしらは
艦砲ぬ喰ぇー残さー(かんぽうぬくぇーぬくさー)さ。」
米軍から艦砲射撃を浴びても
生き延びた「喰い残し」だ。
生き延びていまに至る。
そしてやんばるでは普天間から
キャンプシュワブ沖(名護・辺野古)に
巨大な米軍基地を移転するための埋め立て工事が始まった。
勝っちゃんの戦後はまだ続くし
下手するとタモリさんじゃないが
「新しい戦前」が
沖縄からやってくるかもしれない。
勝っちゃんの人生をより多くのヤマトンチュに
映画を通じて知ってもらいたい。