映画 #サンダカン八番娼館 望郷を見た( #BS松竹東急 #東宝 #栗原小巻 #田中絹代 #明治時代 #大正時代 #昭和史 #女性史 )

きのうは「コンサート自由な風の歌18」に備えて

整骨院と買い物に行った以外は

ずっと家にいた。それだけではない。

BS松竹東急が

映画「サンダカン八番娼館 望郷」(熊井啓監督・1974年・東宝

をやるというのでこれを見るためだった。


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かなり前に文春文庫の本を読んだことがある。

その中身はとにかく「からゆきさん」に関する記録が膨大で

とても当事者の思いに触れるという余裕が持てないほどの

歴史の重さを感じた。

従軍慰安婦ばかりが関心を持たれるが

もとは農村部の貧困が

女性の一生をも左右されてしまったことであるが

現在のマレーシアのボルネオ島北部になる

サンダカンに九番まで「娼館」があった。

原作者をモデルとした主人公(栗原小巻)が

からゆきさんの歴史を調べていくも

事実の基づく声をなかなか得られず

偶然に天草半島(熊本県)のある食堂で

休憩を取っていたら一人の老婆に出会い

家まで行って親しくなる。

それがサキ(田中絹代)だった。

最初は自身の過去について語りたがらなかったが

同じ部落の人たちが顔を合わせたとき

サキは息子の嫁だと主人公を。

そして彼女もそれに合わせた。

互いに少しづつ心を通わせて

主人公は天草のサキの家に3週間も

居続ける。そして

サキは自らの生い立ちを少しづつ語り始める。

天草に生まれ、小さい時に父親と死に別れ

母は再婚したがそこから引き離されるように

自立できるお金を求めてサンダカンへと連れていかれる。

その着いた場所は「八番娼館」だった。

だが「娼婦」をやることを告げられていなかったサキは

最初は激しく抵抗した。

しかし逃げることが出来ず

ついには「兄ちゃん、私は我慢して稼ぐ」。

ゴム園の仕事をする竹内秀夫(田中健)との出会いと失恋、

八番娼館の女衒太郎造(小沢栄太郎)死後

同じ仲間の余三郎に売られてプノンペンカンボジア)に飛ばされるところを

おキク(水の江滝子)に救われ八番娼館に居続けることが出来て

帰国を果たすが

兄から告げられたのは外国帰りの自分を

近所に知られたくないことだった。

故郷にも居場所がないサキは

ペナン島帰りの女(菅井きん)に誘われて

満州(現・中国東北部)に渡り

所帯も持ち子どもを生まれ幸せをつかむが

それも日本の敗戦で夫とともに全てを失った。

京都で母と子で懸命に戦後を生き続けるも

結婚するということで「天草に帰らないか」と

息子に言われていまがあると。

主人公が東京に帰る前に

自分のこと(女性史の研究活動)をすべて語り、謝ったが

サキはおそらくそうではないだろうかと思ったことと

本当のことを言ったのだから本に書いて欲しい。

みんないろいろなことがあっても生きているのだからと。

主人公は突っ伏して泣いた。

その涙は離ればなれになっても互いの思いをつなげる

絆になったようだ。

別れの朝、サキは主人公に

お礼(お金)はいらないから

あんたの使っていた手ぬぐいをくれ。

これを使うたびにあんたのことを思い出すからと。

この映画の最初と最後は1970年代のサンダカンだったが

戦争で焼かれて改築された旧八番娼館、

ヤブの中でやっと見つけた多くの墓標。

それはサキらを救ったおキクがつくった

仲間たちのための墓地でおキクもここに葬られた。

しかし、その墓は日本の方角に背を向けて建てられていた。

自らの運命を感じ取っていたように。

最近ではフィリピン各地に取り残された日本人の

国籍を回復させるための動きが地道に進められているが

このサンダカンの歴史が無関心のもとに埋もれてしまうのだろうか。

どんな手段でもいいから

次の時代へと受け継ぎたい。

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