豪雨と突風の旅 いわき・小高・楢葉木戸(3)

(きのうのブログのつづき)

いわき震災伝承みらい館の語り部

佐藤トミ子さんは久ノ浜地区で津波に遭い

避難はしたが原発事故のために

高台にあった寺から10km以上も離れた

県立湯本高校の体育館に避難を余儀なくされ

被災者名簿の作成や避難所の運営に尽力したが

地元から離れた場所、衛生などの環境などが

十分に整備されていないことで苦悩も強いられた。

しかし、その中で光明を見た。

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(久ノ浜地区の状況を説明する佐藤トミ子さん)

「避難してた小学生たちがね、

 空いたペットボトルを片付けたり

 敷いてあった新聞紙とかをきれいに畳んでくれるように

 なったの。自分たちからすすんでね。

 こどもたちがこうしてやるようになると

 大人たちもまわりが散らかっているのを片付けてくれるように

 なったのね。

 ある日、私のほうに避難所は禁煙だよねって

 訪ねた人がいたのでそうよと言ったの。

 そしたらその人は外に落ちてた

 たばこの吸い殻を拾って集めて持ってきてくれたのね。

 もしもそのままにしていたら

 久ノ浜地区の恥になってしまうからって。」

 

そして、佐藤さんは避難所で生活を送るためには

最初からルールを決めてこうしてくださいというだけではなくて

避難者自身ができることを自主的にやってもらって

それがうまくいったら感謝して認め合うことで

互いに助け合うことを大事にすることが肝心なんだと

話してくれた。

 

「避難所によっては市の職員に

 ああしろこうしろ、おまえ職員だろと

 避難者が注文することが多いこともあったけど

 職員さんもちゃんとした仕事があるでしょう。

 だから避難所にいる人同士で助け合うことが

 お互いギスギスしなくて済むって。」

 

佐藤さんも災害の時には

自助・共助・公助の3つが必要だと言っている。

しかしそれは政治家がわけのわからない言葉を

並べているのとは違った。

ご自身の体験に基づいて

自分で出来ること、

ご近所で助け合わなければいけないこと、

そして自治体(市町村)にどうしても要請しなけならないことを

しっかりと分けて考えることだと訴えた。

 

「私たちは隣組どうしでいつも仲良く

 いろいろと話し合ったり助け合ったりしてるから

 これが災害のときに役にも立った。

 自分の命を守りたいのなら

 お隣さんと仲良くすることですよ。

 ケンカしないで。」

 

さらにもう一つ、

久ノ浜地区にあった幼稚園。

津波で建物がやられ周囲がガレキの山になったのにもかかわらず

園児たちは全員無事だった。

園長先生がとっさの機転を利かせて

保護者の迎えを待つ前に

送迎バスにみんなを乗せて

高台にある久ノ浜中学校まで避難させ

津波に飲み込まれるのを防いだとのこと。

「釜石の奇跡」と同じくらいの

命を守る行動が出来た一例が

いわきにもあったのだ。

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 (震災伝承みらい館の外に貼ってあった黄色いハンカチ。

 「コロナに負けるな」などのメッセージが書かれていたのが見えた。 

 外が雨じゃなかったら、さらに書ける予定だったとのこと。)

東日本大震災:「未来へはばたけ」黄色いハンカチ いわき震災伝承みらい館、来場者の思い /福島 | 毎日新聞 (mainichi.jp)

「忘れない、忘れてはいけない3.11を」潮風になびく黄色いハンカチに思い込め 福島県いわき市:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

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