阪神淡路大震災と語り部について

きのうの夜、この日の午前中に

NHK 総合テレビで放送された

かんさい熱視線」の録画を見て

ハッとしたことがあった。

それは震災の体験を伝える

語り部」のことだった。

www.nhk.jp

番組で追ったのは7歳の頃に

地震による家屋の倒壊で両親と死別した

45歳の学校職員の男性だった。

それ以来兄と姉が親代わりになったが

自分を置いて逝ってしまった

父と母を恨むこともあったという。

「会いたい、もっと遊びたかった。」

死も考えたこともあったが

大人になり、結婚して家庭を持ったときに

両親の無念さがわかってきたと。

そして職場からの要請で

生徒たちに被災の体験を語ることを決めたのだそうだ。

そこで神戸大と大阪府立大の調査データが出た。

なんと阪神淡路大震災語り部

半数以上が70歳代以上になったということ(55%)。

当時10歳以下だった現在の30歳代に至っては

わずか3%のみ(40代9%、50代12%、60代20%)で

このままいけば語り部の高齢化が進んで

震災の体験を次の世代に語り伝えることが

困難になってしまうことが予想される。

現に消防・警察など災害時に

現場に向き合う人材も、あのときの被災を知らない世代が

増えている。

「震災の記憶を風化させないために」

あのとき子どもだった自分たちが立ち上がろうとしているのだ。

kahoku.news

この上のHPは東日本大震災語り部に関する記事だが

東北の被災地でも、当時小学生だった被災者が

震災後まもなく語り部になったらマスコミが注目したことで

多くの注目を集めたことから

「これでいいのか」「自分のやっていることが正しいのか」と

苦悩したという例をドキュメンタリー番組で何度もみてきた。

番組の男性は語り部になったことで

兄とあの時のことについて初めて語り合ったことで

「両親は愛情を持って自分を育ててくれた」ことを

分かり合えた。この思いを含めて

生徒たちに話をすることが出来た。

「27年かかってやっと話をすることができた」。

そしていま、関西でも

10~20歳代の語り部のグループが活動を始めている。

1-17kibounokakehashi.amebaownd.com

「家に帰ったら誰かいますよね。

 帰れない子も電話したら

 親御さん電話に出てくれますよね。

 実はそれって当たり前じゃなくて

 僕はそれができませんでした。

 自分たち今離れて生活してますけれども

 目に見えないところで親御さん きょうだい

 みんなのこと思ってくれてます。

 その人たちに帰ったときに ひと言

 感謝の気持ちは伝えてほしいなと思います。」

この男性の職場では寮で生活する

学生が多く、だからこそ最後にこう語ったのだと。

震災の辛さとその後の苦しみ、

それを忘れられなくても

避けられなかった、触れられなかったことへの

胸のつっかえが取れたと。

これは映像や記録を見るだけではわからないことである。

だからこれからも

語り部と多くの人々が触れあう機会を

行政が下支えして増やしてほしい。

コロナ禍でやりづらくなっている現状なのだから。

語れるまでに費やした27年の歳月は

とても重く、貴重な時間なのだから。

sun-tv.co.jp