#群馬の森 から #朝鮮人 追悼碑が撤去される!( #強制連行 #松本人志 #右翼 #そよ風 #ヘイトスピーチ #ネトウヨ #山本一太 #群馬県 #高崎市 #第二次世界大戦 #労務動員 #政治 #自民党 )

おいおい本気かよ。

24日以降に

群馬の森(高崎市綿貫町)にある

朝鮮人追悼碑が行政代執行によって

撤去されるというのだ。

しかも「政治的な紛争」をなくすという理由でだ。


f:id:shiraike:20240123220145j:image


f:id:shiraike:20240123220204j:image

(22日の東京新聞こちら特報部」より)

なぜここに追悼碑がつくられたのかというと

群馬の森になる前はこの土地に

陸軍の岩鼻火薬製作所があった。

「群馬の森は多くの県民が訪れる公の場所であって、

 戦争遺跡でもあるからこそ、

 植民地支配の歴史や民族差別、

 人権のあり方を考える場所として碑を置く意義がある。」

(『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会の石田正人さん。記事より。)

群馬県内における当時の朝鮮人労働者は

群馬鉄山(中之条町)、

日本発送電岩本発電所工事(沼田市)、

中島飛行機後閑地下工場工事(みなかみ町)などで働き、

6000人以上が労務動員され、

岩本発電所の工事では慢性的な飢餓と過酷な作業で

死者が続出し、逃亡者が続出したという。(旧・間組の社史による)


f:id:shiraike:20240123220230j:image

追悼碑はハトのレリーフがはめ込まれ、

円形の台座から空へ伸びる高さ約4メートルの金色の塔。

「祖国に帰れずに漂う人々の魂を悼む思いが込められています」(石田さん)。

代執行に至った理由は

ネトウヨやそれに迎合する右翼だった。

2012年の追悼式典で参加者から「強制連行」に言及したということから

「碑文は反日的」だとして群馬県に多数の抗議を送り

そのため県は1年更新の追悼碑の設置を2014年に不許可にしたのだ。

追悼碑を守る会(前述)は更新の許可を求めたが

県は態度を変えなかったことで

民事訴訟に踏み切り1審(前橋地裁)では守る会が勝訴したが

2審(東京高裁)では敗訴。

「追悼碑自体が政治的な紛争の原因」「設置の効用を失った」と

最高裁でも覆されず守る会の敗訴が確定した。

県は昨年12月までに守る会に撤去を求めたが

当然拒否。そこで代執行というわけだ。

守る会やそれを支える市民の会を中心に抗議活動が行われ


f:id:shiraike:20240123220248j:image

7日には東京・新宿で抗議のスタンディングも行われた。

ネトウヨや右翼が罵声を浴びせていた。)

第二次安倍政権以降、群馬の森だけでなく

他の場所で朝鮮人の強制連行や労務動員の歴史を伝える

碑や説明板の撤去が知らない間に行われている事実がある。

さて、強制連行と労務動員と2つの言葉が混在するが

こちら特報部」では、

当時の企業側は必要な動員数を群馬県に提出し

大日本帝国」政府は承認数を朝鮮総督府を通じて

現地で動員数を割り当て、

日本に連れてこられた朝鮮人は警察の監視の下で

国策を担う現場に従事したとされている。

あの時は日本人も学徒動員があったが

朝鮮の人々も自分が生活していた半島から

強制的に動員され、戦争が終わっても

故郷に帰れなかった人たちが多かったのだ。

その歴史をなかったことにしようとする行為は

まさに人道主義に反する行為で

あの松本人志の「死ねばいいのに」と同じ、最低最悪だ。

ちなみに県は代執行による撤去費用3000万円を

追悼碑を守る会に請求するそうだが(市民の会のXポストより)

踏み倒してやればいい。なんなら

掘り起こした追悼碑は群馬県庁で保管すればいいじゃないか。

群馬県民すべてが撤去を求めているわけではないのだ。

政治的な紛争をしかけたのは

県民以外を含むマイノリティであるはずなのだから。

www.youtube.com

www.tokyo-np.co.jp

www.chosunonline.com