おいおい本気かよ。
24日以降に
群馬の森(高崎市綿貫町)にある
朝鮮人追悼碑が行政代執行によって
撤去されるというのだ。
しかも「政治的な紛争」をなくすという理由でだ。
なぜここに追悼碑がつくられたのかというと
群馬の森になる前はこの土地に
陸軍の岩鼻火薬製作所があった。
「群馬の森は多くの県民が訪れる公の場所であって、
戦争遺跡でもあるからこそ、
植民地支配の歴史や民族差別、
人権のあり方を考える場所として碑を置く意義がある。」
(『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会の石田正人さん。記事より。)
群馬鉄山(中之条町)、
6000人以上が労務動員され、
岩本発電所の工事では慢性的な飢餓と過酷な作業で
死者が続出し、逃亡者が続出したという。(旧・間組の社史による)
追悼碑はハトのレリーフがはめ込まれ、
円形の台座から空へ伸びる高さ約4メートルの金色の塔。
「祖国に帰れずに漂う人々の魂を悼む思いが込められています」(石田さん)。
代執行に至った理由は
ネトウヨやそれに迎合する右翼だった。
2012年の追悼式典で参加者から「強制連行」に言及したということから
そのため県は1年更新の追悼碑の設置を2014年に不許可にしたのだ。
追悼碑を守る会(前述)は更新の許可を求めたが
県は態度を変えなかったことで
2審(東京高裁)では敗訴。
「追悼碑自体が政治的な紛争の原因」「設置の効用を失った」と
最高裁でも覆されず守る会の敗訴が確定した。
県は昨年12月までに守る会に撤去を求めたが
当然拒否。そこで代執行というわけだ。
守る会やそれを支える市民の会を中心に抗議活動が行われ
7日には東京・新宿で抗議のスタンディングも行われた。
(ネトウヨや右翼が罵声を浴びせていた。)
第二次安倍政権以降、群馬の森だけでなく
碑や説明板の撤去が知らない間に行われている事実がある。
さて、強制連行と労務動員と2つの言葉が混在するが
「こちら特報部」では、
当時の企業側は必要な動員数を群馬県に提出し
現地で動員数を割り当て、
日本に連れてこられた朝鮮人は警察の監視の下で
国策を担う現場に従事したとされている。
あの時は日本人も学徒動員があったが
朝鮮の人々も自分が生活していた半島から
強制的に動員され、戦争が終わっても
故郷に帰れなかった人たちが多かったのだ。
その歴史をなかったことにしようとする行為は
まさに人道主義に反する行為で
あの松本人志の「死ねばいいのに」と同じ、最低最悪だ。
ちなみに県は代執行による撤去費用3000万円を
追悼碑を守る会に請求するそうだが(市民の会のXポストより)
踏み倒してやればいい。なんなら
掘り起こした追悼碑は群馬県庁で保管すればいいじゃないか。
群馬県民すべてが撤去を求めているわけではないのだ。
政治的な紛争をしかけたのは
県民以外を含むマイノリティであるはずなのだから。