古葉竹識さんが亡くなったのか・・・

ダンボールに関するつづきを公開しようと思ったが、

急きょ予定変更しました。

突然の訃報がまた入ったからだ。

プロ野球広島東洋カープなどで監督を務めた

古葉竹識さんが亡くなったのだ。

85歳だった。

広島元監督の古葉竹識さん死去、85歳 球団初V含む4度のリーグ優勝導く - プロ野球 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)

私が生まれて物心がついてから

夜のテレビはいつもプロ野球の巨人戦ばかりだった。

もっとも当時の長嶋巨人はどちらかといえば弱いほうで

その代わりに強い存在だったのが

古葉監督率いる広島東洋カープだった。

1番ショート高橋慶

2番セカンド木下

3番ライトライトル

4番センター山本浩二

5番ファースト水谷

6番レフトギャレット

7番サード衣笠

8番キャッチャー水沼

そして9番ピッチャーは

池谷・北別府・山根そして抑えの切り札に

江夏豊がいた。

あの時の日本シリーズは第7戦

やっぱり山際淳司さんが後に書いた

9回裏無死満塁からの

21球の攻防。

近鉄バファローズに逆転されてもおかしくない状況を

見事に江夏が抑えて初の日本一になったのを

テレビでしっかり見つめたその後に

私はカープの帽子を買ってもらった。

そして古葉さんが監督を辞める少し前まで

ずっとカープを応援していた。

(今では阪神千葉ロッテのファンだが)

 

古葉さんの野球は

理論とか戦術とかというよりは

選手一人一人の個性を大切にして

闘っていたような感じがした。

だから子供だった私にとっても

大人のスポーツだったプロ野球

面白さを見つけることができたと思う。

もっともその後に

横浜大洋ホエールズ(現DeNA)の監督をやった時は

選手層が恵まれなかったことが

他チームを応援していた私にとっても

残念に思った。

しかしその後は東京国際大学の監督をやるなど

プロアマの壁を越えた育成などの道を切り開いた

先駆者としても活躍したことを覚えている。

 

あともう一つ。

テレビ中継で見る古葉監督は

ベンチにどっかと座り込まずに

いつも入口ドア付近で立っていたので

その姿は半分くらいしか見えなかったことを

思い出す。

いまの監督はベンチでも立って采配するのが多くなったが、

こんなにテレビカメラで映りにくい位置にいる

監督はおそらく古葉さんだけだったと思う。

そして古葉さんに育てられた人材は

監督になったり国民栄誉賞を獲ったり

現在も野球に関わっている人が多い。

これも功績だ。

でもあの時の誰もが釘付けになる

野球劇場はもう見られなくなってしまうかもなと

ふと思う。

 

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

1979年 広島東洋 スタメンアーカイブ (fc2.com)

広島佐々岡監督「“ササ頑張れ”と」古葉さん訃報受け来季へ向け決意新たに - プロ野球 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)