東日本大震災10年 そういえば金曜日だったな・・・

2011年3月11日、あれから10年経ったが

そういえばあの日は金曜日だった。

自分の中の記念日はいろいろあるが

曜日まではっきり覚えているのは

この日だけなのだ。

忘れることがないのだ。

 

この日の前の2か月くらい前だと思う。

土曜日の昼になるとなぜか

震度3くらいの軽い地震が起きた。

あまりにも決まった時間に来るので

気になっていたが、まさか

これだけ大きな地震が起こるなんて

考えもしなかったのだ、あの頃は。

 

これはひとつの警告だったのか。

しかし、あの日の直後

もはや週末とか土日とか

そういう生活感覚がなくなっていた。

地震で部屋から本などが落ちていたのを

整理して本棚の位置を変えたりして

さらに翌日はDVDを返しに行った時は

運行している鉄道(地下鉄)のルートを乗り継いで

何とか新宿へ行った。

そして被災者のためになるのならと献血へ。

さらに翌日の月曜日は東京都の指示で

雇用保険職業訓練が中止になって

火曜日に再開しても計画停電による間引き運転で

北千住にある指定の教室に行くまでが苦労した。

最初は全部自転車、その後は運行している

電車・バスなどを乗り継いで

1時間もかからない通学が

2時間半もかかったこともあった。

そしていま自分の記憶と

その時のパソコン教室で学んでつくった

ホームページを見て思った。

 

「コロナ禍と同じだ・・・・」

 

パチンコ店が白い目でみられ

あちこちで自粛の嵐、

そして東京の「夜の街」は

照明が全面的に消えて

賑わいが全くなくなってしまった。

この状況は夏まで続いていたような気がする。

なにしろ計画停電のため。

しかも計画でやっているのに

実際には「停電はなかった」

「ある時突然停電になって困った」などという話が

ラジオ番組でよく聞いていた。

ちなみに自宅はまったくそういうことがなかった。

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職業訓練の教室に通った北千住で撮影した、2011年3月14日。)

それにしてもあの日の記憶は

10年経っても忘れることはない。

おそらくこれからもそうなるかもしれない。

これを今後の防災に生かさなければ。

 

もっとも今度、東京で地震に遭遇したら

徒歩でも帰宅が許されない。

起きた時にいた場所で一旦待機するしかないのである。

これ、東京都帰宅困難者対策条例で定められています。

ご存知でしたか?

shiraikeの東日本大震災日記―2011年3月11日 (coocan.jp)

shiraikeの東日本大震災日記―2011年3月12日・13日 (coocan.jp)

shiraikeの東日本大震災日記―2011年3月14日~18日 (coocan.jp)

一斉帰宅抑制の基本方針|東京都防災ホームページ (tokyo.lg.jp)