おととい日曜日は自宅で過ごしていたので
行けなかったのが、
最後の国会前・脱原発行動。
8日の東京新聞一面で取り上げていた。
「私たちの思いは脱原発で共通している。
物言わぬ市民が、物言えぬ社会をつくっていく。
私たちは物を言い続けよう。」
落合恵子さんのスピーチより。
私としては国会前行動が終っても
言い続けることに変わりはない。
ブログやSNSやその他、自分が出来る手段で
いろいろとやっていきたい。
実は27日に日比谷公園の大音楽堂で
恒例の「さようなら原発首都圏集会」が
行われる予定だというので
こちらに参加する予定だ。
昨年の今頃は市川市で行われる予定だった
集会とパレードがコロナで中止になり、
抗議行動に合流したのだった。
shiraikeの東日本大震災日記―2019年6月24日 (coocan.jp)
まさか今年もコロナに翻弄されるとは思わなかったが
自分が初めてこの行動に参加したのは
「2011・3・11」から3か月後の
6月11日。
国会前ではなく、新宿中央公園からスタートした
大規模なデモ行動だった。
shiraikeの東日本大震災日記―2011年6月11(12)日~脱原発100万人アクション~ (coocan.jp)
9月にはいまはなくなった明治公園(旧国立競技場のとなり)での集会とデモ、
shiraikeの東日本大震災日記―2011年9月19日・さようなら原発1000万人アクション (coocan.jp)
翌年7月は代々木公園の集会に、それ以降も
脱原発行動といえば代々木公園の集会、
その後は渋谷方面のデモ行進にというのが
恒例になった。
shiraikeの東日本大震災日記―2012年7月16日・さようなら原発10万人集会 (coocan.jp)
ただし、2013年の3月10日は日比谷公園で
市民の集い「Peace On Earth」を見て
その後のデモ行動にも参加している。
shiraikeの東日本大震災日記―2013年3月10日 (coocan.jp)
どちらかといえば国会前の行動は
「アベ政治を許さない」のほうがほとんどだ。
(2019年1月19日の行動より。上下どちらも。)
これから先も
訴える、声にすることを大切にしなければ。
それからきのう8日は国際女性デー。
各地でフラワーデモやリレートークなどが
行われた。
しかし、コロナ禍でマスコミがあまり取り上げようとしないのは
残念を越して許せませんね。
あの森喜朗の暴言をなかったことにするつもりでしょうか?
女性にとって優しい社会は
男性にとっても救われる社会に
なることです。
それをもっと考えなければ!
(これも8日東京新聞社会面より。ヘアメイクアップアーティストの
むとうちづるさんが金曜日の総理官邸前行動に参加し続けた記録と
写真で紙面を覆っている。むとうさんも今後はSNSで自分の
思いを発信し続けていく。)
「今、動かないと」「来ずにいられなかった」写真と参加者の言葉で振り返る脱原発デモ:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)