東日本大震災が起きたのは2011年3月11日、
そして、
1945年3月10日は
下町を中心に襲われた
「東京大空襲」があった日だ。
この日は「東京都平和の日」に定められている。
私の母方の祖母(故人)も
空襲の中で逃げ回ったことを
高校の日本史レポートを書くときに聞いた。
その時に祖母が流した涙をいまでも忘れることはない。
4日の東京新聞朝刊社会面では、
小さい記事だったが
当時の民間人の空襲被害者を救済する
法律の成立を訴える集会が
「燃えると空気がなくなる。火あぶりです。」
「熱いから川に飛び込んだ。まだ遺体があるのでは。」
この空襲で被災してお母さんと弟を失った
利光はる子さん(93歳)のメッセージ映像が流れたという。
「これから最終的な調整に入る。何としても
この国会で、という思いで手順を踏みたい。」
本当にいまの国会で成立することを望みたいが、
震災やコロナ禍の影響で、
この時期に空襲について思いをはせるどころか
東京大空襲への関心が「ほとんどない」という
雰囲気になっている。
5日の東京新聞「こちら特報部」では東京・浜松の空襲被害者の声と
民間人の空襲被害を補償へと立ち上がった故・杉山千佐子さんなどを紹介した。
「こんなに苦しくてつらい人生を歩むのは私だけで十分。
国は一度でもこの痛みを感じたことがあるか。
分かろうとしたことがあったのか。」
東京大空襲で右腕を失った、94歳になる豊村美恵子さんの訴え。
体験した世代が この世を去ることで
記憶の伝承が難しくなっている現実が重くなる。
私も賛助会員になっている
8日に犠牲者の名前を読み上げる追悼集会が
行われたと9日の同紙「こちら特報部」で伝えた。
私はオランダのユダヤ人収容所だった戦跡でこのような式典が
あったことをTBSテレビの「ザ・フォーカス」で見たが
主催者側もこれを参考にしたそうだ。
集会には戦災孤児になった遺族の方が
たくさん参加していたそうだ。
日本では孤児のケアがないがしろにされたことで
その後の人生で大きな傷を残す。
そこで犠牲者の名前を読むことで
戦争で人生が閉ざされた人が
確かに生きていたということがわかることで
心の癒しになると同時に戦争を許さないという
決意表明になると。(立教大の浅井春夫名誉教授・記事より)
本当なら東京都が沖縄の平和の礎のように
全ての犠牲者の名前を知ることができるように
名簿を閲覧できるようにすべきだ。
しかし個人情報保護法で公開できないと。
これはおかしなことだ。
遺族やその子孫にとって公開することに
不利益はないはずだ。
あの時生きていた人が突然奪われた命、
それは数字だけではわからないものがあるはずだ。
それを疎かにすれば
再び大きな悲劇が東京を襲うかもしれない。
それでいいはずがない。
第31回東京都平和の日記念式典及び関連事業について|東京都生活文化局 (tokyo.lg.jp)
東京大空襲・戦災資料センター (tokyo-sensai.net)
1人1人の人生想像してほしい…東京大空襲の犠牲者400人の名前、集会で読み上げへ:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)