エドワード・S・モース(1838~1925)
アメリカの動物学者で
明治維新が始まった頃の標本採集のために来日し
大森貝塚を発見したことで知られている。
というか、私が知っている範囲では
この知識といった感じだが、
熊谷空襲のフィールドワークに行った先の
石上寺(せきじょうじ)で
このモース博士の胸像があったのだ。
なぜなのかというと、
「明治12(1879)年8月13日、外国人として初めて(埼玉)県内で講演を行った人物で、その会場となったのが石上寺境内にあった熊谷乙中教院です。当時、最先端の学問だった『ダーウィン進化論』を、通訳を介して熊谷の人々に2時間余り説いたとされています。通訳の少年が『人間の祖先は猿』と告げると、場内が騒然となったという記録が残っています。」
(「くまがやねっと」より)
モースは日本で初めてダーウィン進化論を
説いたということを知ったことは
こちらとしても大きかった。
また現在の市内にあった黒岩横穴墓群も
同じ時に見に熊谷に来ていて
その時に講演をやっていたという記録が
あるという(Wikipediaより参考)。
こんな「新しい発見」も
教養を深める意味でいいものだ。
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