原ノ町から仙台まで

(きのうのブログの続きから)

3月14日、原ノ町で目的を終えたところで

さらにもう一つの目的を思い出して

仙台行きの列車に乗る。

11時51分発の予定が時間の遅れで

10分後に発車する。

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全線開通で歓迎ムードがあり

その関係があったのだろうか。

相馬までは震災の後に乗った記憶がある。

そこから先の区間だ。

あの時はまだ津波の被害で

そこから北の亘理まで

代行バスで行ったのだった。

それも仙台から原ノ町の方向へ行ったことを

思い出したのだった。

線路は坂元の手前から高架線になって

広い平野部を見渡せるところに

駅があるといった感じだった。

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(列車から見た反対側の眺め)

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山下も同じだった。

ちょうどここは被害がひどくて

線路を陸側に移して復旧した区間だったのだ。

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このビニールハウスの列は

「山元いちご農園」の看板があった。

ここも津波の被害を受けて

復興までに大変な苦労があったことを

ニュースなどでよく伝えられていた。

どの駅でも富岡・原ノ町間のような

熱気はそれほどなく

日常の静けさの中で淡々とした時間が

流れていくような感じがした。

そして亘理に着く。

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写真にある城のような建物は

「悠里館(ゆうりかん)」といって

町立の図書館と郷土資料館が入っていることを

後で知った。

そして岩沼から東北本線に合流する。

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改札口からちょこっと顔をのぞかせている

おじさんのようなキャラクターらしきものは

仙台についてから

岩沼市の公式マスコット「岩沼係長」だということを

知った。駅の売店でこのグッズを売っていたからだ。

仙台に近づいたころから

乗客がどんどん増えて

混雑してきた。

仙台駅の到着は13時20分過ぎ。

帰りは14時30分の新幹線で上野に移動して

そこから常磐線に乗り換えた。

仙台では土産物を選んだり(久しぶりに「萩の月」など)

わずかの区間だけ地下鉄に乗ったり

駅前を散策した。

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東西線青葉通一番町駅にて。下の写真も。)

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岩手銀行のポスターに

あまちゃん」の主役をつとめた

「のん」が出ていた。

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仙台の人はみんな知っているだろうか?

(この項おわり)

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