ゴジラと日本国憲法の関係の変遷について(1)

(承前)伊藤宏氏から新聞うずみ火春の花見のときにいただいた

論文(「信愛紀要」別刷 2018年第59号)の題名は

ゴジラが伝える日本国憲法の意義~平和・反核・民主主義~」。

映画「ゴジラ」シリーズのストーリーを、

第1作、第4作「モスラ対ゴジラ」、第11作「ゴジラ対へドラ」、

1984年の第16作、2001年の「ゴジラモスラキングギドラ大怪獣総攻撃」

を参照した上で、2016年の「シン・ゴジラ」の内容とその結果を比較することで

日本国憲法の全体精神、いわゆる憲法の塊とはなにかを

考え、さらに改憲議論に関する問題提起をするといった論調だった。

もちろんゴジラの中には憲法の中身や9条のことは直接ふれていないが

ゴジラ誕生から大暴れの中で

その駆除のために大型破壊兵器の使用に踏み切るまでの

関係者の苦悩の中に非核の決意とその実現に至るまでの難しさ。

しかし、日本国憲法を発展させた非核三原則とその堅持に至る

戦後史の流れとゴジラシリーズの物語とが見えないところで

結びついていると考察している。

第1作のときはゴジラを倒す兵器として

オキシジェンデストロイヤー」(もちろん架空の物質)が登場するのだが、

これを開発した芹澤博士が自らの命を犠牲にして

この研究を消すことを考え、そして

その通りになることでゴジラを倒すことが出来た。

しかしそれは「水爆対水爆」「原爆対原爆」という

人類の上に恐怖の兵器を加えることへの危険を

訴えることが物語の帰結になった。

その後の16作目では

ゴジラ打倒のために三田村清輝首相に対して

アメリカとソ連(現ロシア連邦)特使が

核兵器の使用を提案するシーンがあるが、

三田村首相は両者の話を黙って聞き、

その後の閣議を終えて、特使との会談に臨み

非核三原則を順守すると言った。

もちろん反発の声が上がったが

三田村首相は米ソ首脳の直接会談を行い

その後の官房長官の問いに

「もしあなた方の国、アメリカとソ連ゴジラが現われたら、

 その時あなた方はワシントンやモスクワで、

 ためらわずに核兵器を使える勇気がありますかと。

 両首脳は納得してくれたよ」と答えたと。

実際に見た人ならわかるが、閣議では

ゴジラ退治で核実験を米ソがやりたがっているのでは

と不安の声があり、しかし使用を拒否すれば

外交面で日本が孤立するのではという意見もあったが、

ゴジラはあくまでも核兵器に対する怒りがテーマに

なっていることから「使わない」という結論を貫いた

ということになる。(つづく)

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