6月8日、前川喜平さんの講演を聞きに
牛久に行った時、東口からバス停に移動した時には、
雨が降る中で行列が出来ていた。
会場の中央生涯学習センター(大ホール)には
コミュニティバス・かっぱ号で
運動公園ルートを通る便でなければ
直接行けないのだそうだ。
天候が悪いので直接歩いていくには大変だと
とにかくバスを待たねばとみんな慣れない中を
並んでいる雰囲気だった。
ふと、後ろを振り向いてみると
ありましたよ。この記念碑が。
横綱に昇進したときはどこが出身地かで
生まれたのは兵庫県の芦屋市で、
2歳のときに龍ヶ崎市に引っ越して、
牛久市には中学2年のときに転入し、
そのときに鳴戸部屋に入門したことから、
(どちらの市からも市民栄誉賞をいただいたそうだ)
ちなみに前川喜平さんの講演は9日に竜ケ崎市でも行われた。
そして7月になり名古屋場所。
ひざを痛めた貴景勝が結局全休となり
来場所は関脇から出直しに。
稀勢の里の悲劇が繰り返されないことを祈る。
森友・加計問題について『私も妻も直接関わっていた
という証拠は何一つなかった』と言った。
提出された一連の加計学園関連の文書は
『証拠』ではないというのだろうか。
2015年3月に愛媛県地域政策課が作成した
『獣医師養成系大学の設置に係る加計学園関係者との
打合せ会等について』と題する『報告』。
国家戦略特区での獣医学部設置者に
加計学園が指定されるより2年近く前のものだ。
そこに次の通り書いてある。
『加計学園から、理事長と安倍首相との面談結果等に
ついて報告したいとの申出があり、3月3日、
同学園関係者と県との間で打合せ会を行った。』
『加計学園からの報告は次のとおり。
①2/25に理事長が首相と面談(15分程度)。
理事長から、獣医師養成大学空白地帯の四国の
獣医学教育を目指すことなどを説明。
首相からは『そういう新しい獣医大学の考え
はいいね。』とのコメントあり。
また、柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう
指示があったので、早急に資料を調整し、提出する予定。』
こういうものを動かぬ証拠というのだ。」
(東京新聞7月7日付朝刊「本音のコラム」より)