1泊2日、関西とお花見の旅(後編)

(きのうのつづき)

大阪から京都へ。宇治へ。

といっても近鉄奈良線から大和西大寺を経由して

近鉄京都線大久保駅へ。

そこから伊勢田町のウトロ地区に行ったのだ。

なぜかというと

ここで放火事件があったからだ。

燃やされたのはこの地域で生きてきた歴史が残る

住宅・倉庫とさまざまな「証拠」だ。

昨年8月30日のことである。

「火災現場は、地区の広場に面した中心部。

 3か月半も経つのに、かすかに焦げた臭いが漂う。

 7棟が全半焼した焼け跡は警察の規制線が

 張り巡らされていた。

 想像以上に大規模で深刻な被害。

 周囲は住宅密集地だ。」

(新聞うずみ火1月号より。カッコ内は以下略。)

明らかにヘイトクライムなこの事件は

世間の注目を浴びることが小さかったが

地域にとっては衝撃だったはずだ。

陸上自衛隊駐屯地の裏手の小さな川を挟んだこの場所は

いま燃やされた住宅の跡地を再び改修する工事を始めている。

宇治市は事件の起きた地点を一部通行止めにして

歩道を再整備した上で囲いをつくって

事件の痕を消したのだ。

「当初、警察は漏電が原因と発表した。

 建物の老朽化による失火。

 ところが年末に入り自体は急変した。

 12月6日、放火の疑いで奈良県在住の22歳の男が逮捕された。

 名古屋市内の在日本大韓民国民団愛知県本部、

 隣接する名古屋韓国学校の排水管にも放火した容疑で

 10月に逮捕・起訴された人物。

 名古屋事件の取り調べで『余罪』が判明したとされる。

 一部報道では『日本人の注目を集めたかった』と

 供述したという。」

www.msn.com

 

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(現在建設中は再来年5月完成予定で12世帯が入る予定。

 第1期は2017年末に完成して40世帯が集団移転。

 ウトロは戦前京都飛行場建設のために朝鮮・韓国人が動員され、

 戦後ここに残留を余儀なくされ、近くに工場がある日産車体から西日本殖産に

 土地の所有権が移ると立ち退きを強いられ、その後市民や韓国政府の支援で

 やっと土地の一部を取得して共同住宅を建てられた歴史がある。)

その端には新しい建物が出来ていた。

ウトロ平和祈念館だ。しかし

「建物の被害のみならず、

 ウトロ市民の伝えるべき記憶と記録が

 失われてしまうという取り返しのつかない被害」

 (祈念館の運営を担うウトロ民間基金財団の郭辰雄理事長)

前述の「証拠」とは展示を予定していた

立て看板や生活用品など40点あまり、

それが放火によって焼失したのだ。

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(この公園の背にあるのが平和祈念館の建物。)

30日に開館のことだが

この建物の前に小さな住居のようなトタン小屋があった。

かっての飛行場建設のときの飯場

在日朝鮮・韓国人の労働者の一族が

ここで寝起きした場所だったのだ。

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史料館の近くには製茶工場があり

さすがは宇治市だなと思ったが

近鉄線の駅から坂を降りて小さな道をいかなければ

ウトロ地区にたどり着かないことを歩いて行って、

これが残された歴史なのかもしれない。

ブラタモリじゃないが、

実際に隣の大久保駅周辺の道路は車道が整備されていて

自衛隊の駐屯地には川を渡る橋もしっかり整備されていたのだから。

 

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伊勢田駅から丹波橋で乗り換えて京阪宇治線六地蔵へ。

あの京アニ事件の現場だったが、いまでは

桃山六地蔵住宅博という

住宅展示場になっていた。

事件のあとスタジオのあった建物は解体されて

まったく風景が変わったのだ。

それもやむを得ないかもしれない。

時の流れを確認したところで

路線バスと地下鉄を乗り継いで京都駅へ。そして新幹線で帰宅。

京都の桜も散り始めて

花びらも残り少なくなっていた。

(さらにつづく)

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