なぜ、国が福島第一原発事故の後に1080人しか測定出来なかったのか
その理由を示す文書が見つかったことを2月4日の東京新聞朝刊が
一面と特報面で伝えている。
記事によると、同紙が情報開示請求で入手した2011年4月6日の参院災害対策特別
委員会の答弁用に作成された経済産業省の内部資料の中にあった文章の中で、
「『放射線量が増加し始めた頃には避難が完了したため、避難者は調査せず』と記され
ていることが分かった。「逃げ遅れなし」とみなし、避難指示区域となった原発から
20km圏の人らは調べなかったとみられる。実際の測定では30km圏外の人たちが
対象となったが、より近くから避難した人らが対象から外れた理由はこれまで明らかで
なかった」とある。
特報面では当時文部科学省からオフサイトセンター(OFC)に出向して
甲状腺被ばくの測定を行っていた牧慎一郎氏からの電話取材で
「時間との勝負だった、対象を絞り込むしかなかった。」と
30km圏外の人たちを対象にせざるをえなかった理由を
「語気を強めた」という。
なぜかというと放射性ヨウ素が
呼吸などで体内に取り込まれると甲状腺に集まり内部被ばくが起こるが
放射性ヨウ素の半減期は8日、日が経つうちに減り続け測れなくなる前
に測定しなければならないが、
国の測定は事故から2週間前後がたったころなので
被ばくが多そうな地域を絞ったら
「原発から20km圏内の人は避難し、20~30km圏内の人は
屋内退避をした。放射性物質に触れない手立てを取っていた」
から、30km圏外は「防護策の指示がない」から
「そのエリアに住んでいることが一番のリスク」と考えたのが
1080人になった理由だと答えている。
しかし、
この30km圏外の人のみを対象にしか測定をしなかったことで
被ばくのハイリスクを負う地域や対象は他にもあったのではないか。
特に事故直後から30km圏外への避難に時間がかかり、さらに逃げ遅れたことで
屋外で長い時間に被ばく状態だった人もたくさんいたのではないかということ。
しかし4月6日には勝手に避難完了と結論づけ、さらには
「避難者は調査せず」として終了させてしまったのだった。
その後に徳島大からOFCに出向していた2人のメンバー(誉田栄一教授と佐瀬卓也講
師)が双葉町から郡山市に避難した11才少女が100ミリシーベルトの被ばくが
あったことを事実確認した上で、
佐瀬講師の試算の元で放医研の内部文書に記されることになる。
結局この少女に起こった被ばくから
20km圏内の避難は完了していなかったことはウソになる。
もし避難が完了した後に被ばくしていたと仮説を立てても
国の測定は避難者を測定しないとしたことから、
後になって福島県が避難者などを対象に独自の測定をしたとしても
最初から門前払いにして、その後の追跡調査や事後の分析について
全くやる気がなかったと言われても仕方がないだろう。
いずれのしても国の測定だけでは
内部被ばくについては「安全である」と断言していることに
ウソや疑惑が出てきているのは間違いないと思う。