井上ひさしさんを悼む

井上ひさしさんが9日に亡くなられた。私が井上さんの名前を知ったのは何と言っても「ムーミン」の主題歌だった。
子どものころに「ムーミン」を見て作詩・井上ひさしの名前をぼんやりと記憶に残したまま、
大人になるにつれて井上さんは放送作家から戯曲家となり、直木賞を受賞し作家文化人として名をなすようになったということ
を知った。
その井上作品のうち、じっくり読んだ唯一の小説は「吉里吉里人」だった。
長編だったが読んでいるうちに止まらなくなり1日で読み終えてしまった。
なにしろ「吉里吉里岩手県に本当にあります)は日本国から独立宣言する!」というありえない話が、当時の社会問題やマスコミ(特にNHK)の裏事情をからませながら
社会風刺調に描きながらも、ちゃんと笑わせ泣かせて感動させるエンターテイメントにしているのだから読後に重苦しさを感じさせずむしろ楽しかった。
しかもこの小説が発表されてから全国各地で「ミニ独立国」ブームが起き、ミニ独立国サミットまで開催され
ふるさと起こしの貢献につながったからすごいと言わざるをえない。
今でいうところの「B級グルメで街おこし」と同じかそれ以上といったところか。
井上さんは徹底的に資料を読み込み、それを基に文章のもつ可能性を繰り広げた人ともいえる。

これは私がもっている井上さんのエッセイ本だ。
「新・東海道五十三次」は江戸時代の情報の伝わる速さをとりあげたことを発端にして、今と当時の旅行の違いをさまざまな角度から取り上げた後に
童謡の江戸と京との違いなどの寄り道などを経て、作者である十返舎一九がなぜ「東海道中膝栗毛」を書いたかなどをとりあげるなど
まるで「東海道五十三次」を解剖しているかのような楽しさがあった。
「巷談辞典」は四字熟語をタイトルにして1つの話を作る「お題拝借」のようなエッセイで(夕刊フジの連載ものだった)
これまた教養ありウイットあり、ここだけの話ありでやっぱり面白かった。
こまつ座」の舞台は見なかったが、舞台をテレビドラマ化した「国語元年」をNHKで見た。
主役は石田えりさんで、行儀見習いとして奉公した家の主人が文部省の役人(川谷拓三さん)で政府の命をうけ
「共通語」を作ることになったという物語だが、家族や奉公人そして居候(すまけいさん)がそろって
生まれ育ったふるさとの言葉が違うものだから、共通語を研究するのにうってつけであるが
そこまで苦労して共通語をつくりながらそれが水の泡になるという話だったが、いまの
国語事情(共通語どころか、今はギャル語や絵文字の時代だ)にしっかりつながっているのだから、楽しませてもちゃんと「反体制」をしっかり主張している。
また本宮ひろしさんの劇画「やぶれかぶれ」の中でも、スランプに陥った本宮さんが当時市川に住んでいた井上さんを自宅に訪ねてきたとき、
本の山から井上さんが顔を出し、本宮さんの悩みを聴いたうえで、「私は本を読んでいるのは好きだからです。本を読んだところで一流の天才にはなれない。
超一流の天才は本を読まない、その素質を本宮さんあなたが持ってるのですよ。」と励ますシーンがあったのを思い出した。
そして、2月に埼玉県立久喜図書館の「本のリサイクル」でもらった「八月十五日、その時私は…」(1983年・青銅社)をいま読んでいる最中である。
井上さんは山形出身で、戦争中は東京から来る疎開の同級生たちから野球などさまざまな遊びを覚え、自分の知らなかった「広い世界」を感じることで
「世の中はなんでもあり」そして「絶対」というものはないということを実感し、日本語に対する好奇心がめばえ始めたと言う一文をこの本に
寄せていた。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。