桜はまだまだ

先週、梅を見にじゅんさい池に行ったが、筑波山の梅も7分咲きということで春は確実に近付いているように思える。ただ今日は風が強い。吹き荒れる風が晴れた空を冷やしているような感じで、本当の春を実感するのにはまだ時間がかかると
しかいいようがない。今日はリハビリをかねて6月から始めているゴルフ練習(うつ病には体を動かすのが一番良いらしい)を終えた帰りに、常盤平のさくら通りを自転車で通りすぎたのだが、まだまだ固いつぼみが見える程度でしかない。
最もそれは仕方がないということだろう。なにしろ火曜日の夜には雪が降り一時的に家の周りでも積もったほどだから(朝には雨ですっかり溶けてしまったが)、これから暖かくなる春がくるにはまだ時間がかかるということなのかもしれない。
でもそれだからこそ桜が咲いたことで、春が来たことへの喜びを感じること。そして旅立ちの季節にふさわしい彩りを添えてくれることに期待が高まるということなのかもしれない。桜が咲くということはどんな人においても人生の句読点となり、何らかのエピソード(特に花見など)に欠かせないものになっているが、私自身は今のところにおいて桜が咲くどころかまだつぼみの状態。うつ病の状態で自分の人生のこれからにおいて様々な迷いに包まれていて、次へのハードルを跳ぶには助走期間にすら入っていない状態なのである。「今の心身状態をそのまま受け止めて生きていくにはどうしたらいいのだろうか」少しづつ自分のできることに挑戦して「出来ることを増やしていこう」と試行錯誤を積み重ねてきた1年間だった。(ブログもその一つ)だが、これからの生き方はこうするという方向になかなか行きつかない。また仕事に戻って「何もできない私、何も考えられない私」になってしまうのが怖いのだ。生活のため、金のためならそんな怖さならすぐに吹き飛ばせるだろうという考えもある。しかし一昨年11月に異動になった時に「この工場での自分の使命は終わった」と思ったのも事実だし、どんなにがんばっても異動先の仕事に意欲を感じなかったのも事実だ。40歳を前にして、自分が改めてやりたいこととそしてそのために何が必要であるかを考える必要があるし、薬を飲み続けながらもこれまでの人生をふりかえる作業をやっていきたいと思う。そうなったときにまた自分の心に桜が咲く時が来ると信じている。