(きのうのブログのつづき)
その⑤
宜野座から高速バスを降りて
辺野古まで歩いた初日(22日)だったが
実はここから路線バス(名護東線)をあてにしていた。
しかし私が高速のバス停から歩いて
近くの路線バス停留所に着いたときは
もうバスが出ていて
次の便はなんと1時間半も待たされることから
歩くことを決めたのである。
ところが歩いてから10分たって
なんと路線バスが2台立て続けにやってきたのである。
しかもその時には近くにバス停がない!
1時間も遅れてきたんかい!
しかし昔の沖縄では、
それが当たり前だったのだ。
いまではバス停のQRコードがあって
これで乗りたいバスが
どの付近を走っているのかがわかるというから
次回はそれを使ってみたい。
さらにもう一つ。
もう一つ先の世富慶バス停で
名護東線に乗り換えたほうが
はるかに時間が短縮できることが
前回(2020年)の旅でやったのにもかかわらず
これを忘れてしまったのだ。
まさに反省!
ちなみに海岸から国道沿いのバス停に戻り
名護行きのバスを待っていたら
個人タクシーが列を並べて
那覇方面へと移動するのを見た。
行先はどこなのか?
やはり基地周辺なんだろうか?
その⑥
辺野古では海辺の座り込み小屋に行くときは
「新聞うずみ火」の読者といっしょに
クルマで便乗して行ったので
辺野古交差点から徒歩で
その近くの海岸まで行ったのは初めてのこと。
「ようこそ辺野古商店街」の大きな看板。
その下に
「アップルタウンの由来」という看板を見た。
1957年に辺野古区が将来的展望に立ち
地域開発を進めるために
ここで宅地開発事業を開始し
住民の団結と米軍、とくに当時の民青局長アップル中佐が
重機等の貸付に尽力したから
「アップル町」と命名したのだと。
しかし周りはわずかに飲食店と
沖縄独自のストアーがある以外は
閉店してこわれたままの建物と
静かに民家が密集し、
むしろ丘陵を下りた海沿いのほうに
新しい家々が立ち並び
下校途中の子ども達の姿も見かけた。
7月上旬に大会が行われることを
町内会の掲示板でわかった。
だからあの小屋に近いところに
多目的グラウンドと野外ステージが作られるということらしい。
しかし辺野古新基地が出来ても
果たしてアップルタウンは蘇るのだろうか。
それはわからないままだ。
battle-of-okinawa.hatenablog.com