2023年 #沖縄 旅行のこぼれ話(3)

(きのうのブログのつづき)

その⑤

宜野座から高速バスを降りて

辺野古まで歩いた初日(22日)だったが

実はここから路線バス(名護東線)をあてにしていた。

しかし私が高速のバス停から歩いて

近くの路線バス停留所に着いたときは

もうバスが出ていて


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次の便はなんと1時間半も待たされることから

歩くことを決めたのである。

ところが歩いてから10分たって

なんと路線バスが2台立て続けにやってきたのである。

しかもその時には近くにバス停がない!

1時間も遅れてきたんかい!

しかし昔の沖縄では、

それが当たり前だったのだ。

いまではバス停のQRコードがあって

これで乗りたいバスが

どの付近を走っているのかがわかるというから

次回はそれを使ってみたい。

さらにもう一つ。

宜野座インターチェンジ)で降りるよりも

もう一つ先の世富慶バス停で

名護東線に乗り換えたほうが

はるかに時間が短縮できることが

前回(2020年)の旅でやったのにもかかわらず

これを忘れてしまったのだ。

まさに反省!

ちなみに海岸から国道沿いのバス停に戻り

名護行きのバスを待っていたら

個人タクシーが列を並べて

那覇方面へと移動するのを見た。

行先はどこなのか?

やはり基地周辺なんだろうか?


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その⑥

辺野古では海辺の座り込み小屋に行くときは

「新聞うずみ火」の読者といっしょに

クルマで便乗して行ったので

辺野古交差点から徒歩で

その近くの海岸まで行ったのは初めてのこと。

「ようこそ辺野古商店街」の大きな看板。


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その下に

「アップルタウンの由来」という看板を見た。


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1957年に辺野古区が将来的展望に立ち

地域開発を進めるために

ここで宅地開発事業を開始し

住民の団結と米軍、とくに当時の民青局長アップル中佐が

重機等の貸付に尽力したから

「アップル町」と命名したのだと。

しかし周りはわずかに飲食店と

沖縄独自のストアーがある以外は

閉店してこわれたままの建物と

静かに民家が密集し、

むしろ丘陵を下りた海沿いのほうに

新しい家々が立ち並び

下校途中の子ども達の姿も見かけた。

辺野古は伝統の琉球角力があり

7月上旬に大会が行われることを

町内会の掲示板でわかった。

だからあの小屋に近いところに

多目的グラウンドと野外ステージが作られるということらしい。

しかし辺野古新基地が出来ても

果たしてアップルタウンは蘇るのだろうか。

それはわからないままだ。

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