A級戦犯が太平洋で散骨されていた・・・

7日の東京新聞の1面は

東京オリンピックを人数制限をかけて開催しても

その人流は310万人になり

コロナ感染拡大のリスクにつながることを

大きく取り上げていたが、

五輪観客「プロ野球並み」の基準ならば310万人 方針決まらず混乱の懸念:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

それ以上に「これは!」と

目を引き付けたのは

A級戦犯7人、太平洋に散骨 米軍将校「私がまいた」:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

の記事だった。

「文書は、占領期に横浜市に司令部を置いた米第8軍が作成。

 日本大生産工学部の高澤弘明専任講師(法学)が

 米国立公文書館で入手した。

 詳細が記載されていたのは、

 7人が処刑された1948年12月23日付など2種類の極秘文書。」

東条英機元首相など7名のA級戦犯

極東国際軍事裁判東京裁判)で判決後に

巣鴨プリズンで絞首刑にあったことは

事実として知られるところだが、

遺体は遺族に渡されず

この後どう処理されたかは昭和史の謎とされたという。

(もっとも誰も関心は持たなかったといえばそれまでだが・・・)

3面では散骨に関する経緯と

だれが直接散骨をしたのかを公文書に書いてあるかと伝えていたが、

やはり遺族の反応が気になった。

「ベターではないかと思う」と答えたのは

東条氏のひ孫の方だった。

遺骨を邪険に扱われることなく

散骨という方法ならば、弔いのあり方として

納得できないことはないというわけか。

また広田弘毅元首相の遺族の方も

「遺骨がどう扱われたがわかって良かった」と。

戦争に対する責任を負ったとして

全ての国民から非難される側に立つ存在だが

それでもきちんと慰霊はしなければならないということを

連合国の一員だった米軍をわかっていたということか。

 

しかし、A級戦犯はまだ救われたほうだろう。

沖縄本島では地上戦で犠牲にあった

名もなき島民の遺骨が弔われることなく

地中にうずまり、辺野古埋め立てのために

さらに犠牲に遭う危機を迎え

さらにフィリピン、インドネシアパプアニューギニア

南太平洋などの島々にはいまだに発掘されていない

英霊の遺骨があること、

そしてBC級戦犯は子どもにも

なぜ父は死んだのかという理由を隠し続けた

歴史があることを

私たちは決して忘れてはいけないのだ。

 

戦後75年たっても

私たちはまだ本当の

戦争責任を果たしていないはずである。

 

絞首刑「総て宿命」 BC級戦犯で死刑とされた元軍医:朝日新聞デジタル (asahi.com)

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