「私の中のあなた」

もしもわが子の難病を治すために「妹」をつくることを決断し実行した母親がいたとしたら、そして「姉」の難病治療のために自分が利用された「妹」がもしも「母親」を相手に裁判を起こしたとしたら―
昨日無料の映画会で見た「私の中のあなた」(2009年・アメリカ)は今の日本の医学では考えられない、しかし「将来考えさせられる」問題をテーマにした作品でした。主人公の「妹」アナ(アビゲイル・ブレスリン)が自分の生い立ちを語るように物語が始まり、質屋にペンダントを売って金を作り、「勝訴率91%」の弁護士キャンベル(アレック・ボールドウィン)に依頼するときに差し出した資料は出産直後の臍帯血、5歳のときの骨髄穿刺、造血治療を施した上での血小板、顆粒球、リンパ球などの移植など・・(アナは11歳)。ここまで見た人のだれもが「自分の子供のためにここまで犠牲にするのか、信じられない」と母親サラ(キャメロン・ディアス)を責める意見と、「子供のために家族のためには仕方のないこと、母親は責められない」と自分の母を訴えたアナを非難する意見の2つにほぼ分かれることでしょう。
しかしこの映画はこの問題を議論するための物語ではなく、家族のなかにある大きな問題に立ち向かうには何が大切なのか、そして家族のきずなとは一体何かを考えるために物語が作られているのです。

姉ケイト(ソフィア・ヴァジリーヴァ)の白血病の治療のために一致団結する家族―しかしその一方で母サラは弁護士を辞め家事とケイトの看病に専念し、兄ディドも失読症で生きていく自身を失い、ケイトを治すことだけに必死になるサラとの気持ちにズレを感じるようになった、父ブライアン(ジェイソン・パトリック)がアナを擁護するような態度をとりはじめる。
「ほんの一つの問題のために、家族が崩壊することがある」
そしてケイトも苦しい治療を続けるなかで同じ病気の恋人との出会いと別れ、そして自分に献身的な家族(特にアナ)のために、さらに自分が待ち受ける「死」と向かい合うことを決めたときに考え付いたこととは何か?
この映画のラストは決して劇的なものではありません。でもアナが裁判を起こした理由、ケイトの家族に対する思い、そして1つの家族が「1つの悲しみ」を越えることで再生の道を歩むこと。
アナもサラも家族全員が互いの思いを理解し、分かちあえることが一番の幸せ、それをケイトが気づかせてくれたということ。
この映画は難病を抱える子供をもつ家族ばかりではなく、ごく普通の家庭の1人である「普通の人々」にも強烈なメッセージを与える一作だと感じました。