#手賀沼 で訴えた #東海第2原発 再稼働反対( #東京新聞 #千葉 #我孫子市 #東海村 #日本原子力発電 #原燃 #茨城 )

その場に立つことが出来なかったのが残念だった。

茨城県東海村日本原子力発電(原電)東海第2原発の再稼働に反対する

『東海第2原発いらない!手賀沼集会』が9日、

 千葉県我孫子市手賀沼畔で開かれた。

 市民グループのメンバーら約150人が参加、

 東京電力福島第1原発事故がもたらした不条理な差別の訴えに耳を傾け、

 東海第2原発の運転差し止め訴訟の今後について報告を受けた。」

(カッコ内はきのうの東京新聞千葉版の記事を抜粋、以下同。)

当日は集会のあとに手賀大橋で参加者たちが

東海第二原発うごかさないでと書かれたパネルをみんなで掲げて

再稼働で避難や放射性物質の拡散による混乱が起きることは

逃れられないと強くアピールしたようだ。

記事のなかで福島からの避難者である

鴨下全生(まつき)さん(21歳)が

福島原発被害東京訴訟の意見陳述で

東電が補償金の仮払いを始めたことを報じられたとたんに

クラスメートからひどいいじめを受けるようになったことを

集会で話し、

「一番つらかったのは放射能が降ってきたことではない。

 口封じのように賠償金を握らせたことが人々の分断や差別につながり、

 被害者を苦しめてきた。」と訴えたことが取り上げられていた。

鴨下さん一家は指定区域外(いわき市)からの避難で、

賠償金が支払われないにもかかわらず、「金を返せ」などと責められた。

避難先の小学校は最初は彼をあたたかく迎え入れたというのに。

(2011年当時は8歳)

私は彼のお父さん(訴訟団長の祐也さん・55歳)に話を聞いたことがある。

自主避難のことを。

いわきから都内へ避難。

復興支援員に話をしても県の職員だから帰還を促すばかりでムダ。

 ネトウヨや週刊誌のバッシングと避難先の住民からのいじめなどで

 泣く泣く帰らされた人も。

 私達は自宅の様子を見に行ってきたら

 隣の人から何か情報を知っているかと質問された、と。

記事によるとお父さんは

「避難住宅追い出し訴訟」で東京都から一方的に訴えられ

体調を崩していると。

あのときも名刺をいただいたが、顔写真は撮らないでほしいと

事前に断りを入れていた。すでにあらゆるところから

嫌がらせをうけているということを聞いたことを思い出した。

奥さまの美和さん(53歳)からも、事故後も

祐也さんは教育者(工学博士)としての使命感から

福島に戻った夫の体を思いやり、

原発さえなければ。こんな思いは誰にもしてほしくない」と声を振り絞ったと。

もうあのときから9年になる。

鴨下さん一家は知られざる事故の被害者に

なったままである。

「でたらめな原電の防潮堤工事と、

『過酷事故で避難が必要なのは30キロ圏の約17万人』

 とする茨城県の主張の矛盾を突く。」と

第二原発運転差し止め訴訟原告団共同代表の大石光伸さん。

原発事故の記憶が「風化」どころか

「強制終了」させられるこの現実をひっくり返す力が欲しい。

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