ライトアップを見る。
照明は木に巻き付けるのではなく
その隣から光を照らしている。
たくさんの人がやって来て写真を撮っていたが
この風景がいつまで続くのか。
本格的な再開発が開始すれば
この光景もまた変わってしまうことになるかもしれない。
それを心配しながら外苑前から地下鉄を乗り継ぎ
新宿御苑前で降りて、
新聞うずみ火の東京忘年会会場の
随園別館に。
入るにはまだ時間が早いので外で誰かが来ないかと待ってたら
佐藤京子さんが新しい相棒の介助犬イムア君とともに
やってきた。
とてもおとなしく安心して頭をなでることも出来た。
2月にパートナーとなって
しっかりと佐藤さんを支えている。
先代のニコル君を初めて見たのは
9年前の東京忘年会だった。
以来年に一回の再会でほっとしている。
その後に共同通信OBの福島尚文さんが来て
3人(と1匹)で店に入ったら
幹事の鷲尾峻一さんと佐藤竜一さんが中にいた。
これで安心。その後に編集部の矢野宏さんと
栗原佳子さん、それから
いつも年賀状を出す毎日新聞の青島顕さん。
先月24日に開高健ノンフィクション大賞を受賞した
「MOST 『ソ連』を伝えたモスクワ放送の日本人」を
買って読んでいるのでサインを頂いた。
(まだ読み終わっていないのでこの話は後日のブログで)
初めての参加の方もいた
静岡の高等専修学校の理事長を務める杉下俊雄さん。
うずみ火の釜ヶ崎(大阪市西成区)フィールドワークに参加したのが
きっかけ。お住まいは横浜市ということで東京忘年会へ。
ありがたいこと。
10年前に矢野さんとドイツでアウシュビッツなどの
見学ツアーに参加した原田敬三さんは
東京大空襲訴訟にも参加する弁護士さん。
奥さまは学校安全の推進活動のNPO法人の代表など
幅広く活躍されている。
小川智さんは朝日新聞でカメラマンだったが
いまは地方面の訃報などの記事を構成する仕事をしている。
(業務連携支援センターと名刺に書いてあった。)
ジャーナリズムのために一生懸命仕事をしている人の
やる気をそぐことをやって
本当に朝日のこれからが心配になる。
新聞労連の委員長だった政治部の南彰さんが
琉球新報に移籍したことを思い出した。
そして福島尚文さんも
同じ共同通信の記者が長崎の高校生いじめ問題を
取材したら加盟社の長崎新聞からクレームをくらい
文藝春秋から真相本を出版したら
取材の一線から外されたことで
退職し「表現の自由の侵害」などで
共同通信を相手取って550万円の損害賠償訴訟を起こした。
この件は長崎新聞は県の言いなりになって
記者に圧力をかけたようなもので
しかも同じ仲間を守るはずの労組ですらも動かなかった。
会社が理不尽なことをしたら戦うはずの
労働組合はどこに行ったのかと福島さんは
辞めた元記者の石川陽一さんのことをもっと知ってほしいのだと。
忘年会に参加することはただ飲み食いをするだけではない。
この出会いと対話の中で
さまざまな学びや刺激と共感、そしてつながりや
助け合いを深めていくことが出来る。
そして翌日は埼玉につづく。