鉄道連隊の跡を見る(習志野・大久保)

2日の習志野のコンサートを見に行った話の

付け足しをもうひとつ。

京成大久保駅からゆうろーどに入る前の

交差点を左に曲がって、

「アコレ」というスーパーの前の道路沿いに

鉄道連隊の跡が記された案内版を見た。

習志野市教育委員会がつくったもので

その道が演習線の一部として津田沼にいく方向へ

軌間600㎜の軽便鉄道が敷かれていたということだ。

なお津田沼から北西部にも線路が敷かれていて

それが戦後になって新京成電鉄になったのだが、

大久保から先はいまの京成バスの三山車庫付近を通り

そこから南に向きを変えて京成本線(現在の)

をクロスして、いまの千葉市こてはし台を経由して

鉄道連隊材料廠につながっていたという。

日露戦争の時に購入した鉄道資材を

習志野の捕虜収容所跡に運ぶために敷設されたのが

さらに千葉市まで延びたことになる。

それが明治時代のこと。

さらに大正年間に津田沼から松戸まで演習線が伸び

鉄道の敷設・撤去・修理の訓練や機関車の運転訓練が行われた。

ちなみに戦後になっても、

津田沼から大久保より手前の高津地区までは

自衛隊の演習線として用いられたそうだが

いまでは線路は撤去されているとのこと。

ウクライナ情勢だ中台緊張だといわれているが

再び戦争が日本の周辺で起こらないためにも

この跡がもっと地元の人たち以外にも知ってもらえるように

なってほしい。

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