大江健三郎さんと脱原発

仕事のために行けなかった、

21日の「さようなら原発」一千万署名市民の会

運動の全国集会。3年ぶりに東京・代々木公園で

行われた。

呼びかけ人の一人だった大江健三郎さんが亡くなられてからの

初めての集会ということで、上の写真の東京新聞22日朝刊社会面でも

同じ呼びかけ人の一人の落合恵子さんから

「私たちにとって大江さんは大き過ぎる存在で、

 いつも仰ぎ見ていた。

 大江さんの思いをしっかり継いで生きたい。」

との発言があり、

集会で緊張していた時に、「最近読んでいた本はなんですか」と

話を振ったり、所ジョージさんからもらった帽子を

自慢したりして場を和ましてくれたエピソードを

紹介して親しみやすい一面もあったと振り返ったということが。

私も集会で大江さんのスピーチを聞いたことがあるが

アカデミックな言葉の中に

福島第一原発事故に対する国の不作為に強い怒りがあることを

感じ取ったことがある。

23日同紙夕刊の文化面に

評論家で筑波大学名誉教授の黒古一夫が大江さんを悼む文を

寄稿してたので読んでみた。

それによると、数々の小説や評論・エッセイで

私たちに教えてくれたのは

文学(者)は時代(歴史)や社会に対して

「能動的」でなければならず、

「人間が歴史的な生きものである以上、

 当然にー過去と未来を含みこんだ同時代と、

 そこに生きる人間のモデルをつくりだすこと」

(1986年講演録「戦後文学から新しい文化の理論を通過して」より。)

それが原水爆禁止と憲法改悪(改正)に明解にノーを突き付けたのも

文学(者)は炭鉱のカナリヤのように

社会や歴史の動向に常に警鐘を鳴らさなければならないということに

結びついたということらしい。

さらに1999年の「宙返り」において

あらゆる境遇に在る者が自由な生活空間である「共同体(根拠地)」の

建設の追求とその祈りが含まれている。

それがノーベル文学賞(1994年)で世に知らしめることになったが

デビュー作の「万延元年のフットボール」(1967年)から

始まっていた「骨太のテーマ」というのだ。

決して一つの重大事故から始まったのではなく

文学から現代社会をアプローチし続けたことからに

呼びかけ人としての行動につながったというわけか。

まさに骨太の「脱原発」だったのか。

ただ敬意を表するしかないと同時に

大江さんの願いを受け継いでいかなければならない。

 

改めて、合掌。

 

shiraike.la.coocan.jp

shiraike.hatenablog.com

shiraike.hatenablog.com