(きのうのブログのつづき)
思わなかったんですよ。だから
揺れが収まった後に部屋の片づけをしたんです。
避難はしないでね。
倒れたテレビを元の位置に戻して
つけて見たら大きな津波が来たって
ニュースをやってた。
そしたら外から津波が来るぞって声がして
ドドッて黒い水が家のほうに来たんで
バッグを持って高台のほうに避難したのね。」
今回の福島の旅は
行こうと思っていたが
ちょっと寝坊したため
予定を変更して、泉駅で途中下車。
薄磯海岸にある「いわき震災伝承みらい館」に行ったのだ。
6時ごろに出発して着いたのは10時半過ぎ。
たまたま震災語り部の講話の時間が始まったばかりなので
展示を見る前にその話を聞いたのである。
久ノ浜地区に住む佐藤トミ子さんは
家に近い高台の龍光寺に避難した。
その時に血を流した人たちが担ぎ込まれた。
避難した人の中にトラックでここまで来たという人がいたので
その人達を乗せて病院へと運んだ。
佐藤さんはその手伝いをしたという。
戻ってきたのは4人中わずか1人だけ。
それでも運ぶことが出来ただけでまだよかった。
もう他の場所ではそれどころじゃない状況じゃなかったのだから。
13日に原発事故に伴う避難勧告が
市から出された。最初はみんながためらっていたが
バスが出るのならと住民はほぼ大半が
10km以上離れた県立湯本高校に設けられた避難所へと向かった。
ただし佐藤さんはバスには乗らずに
婦人会の代表として片づけなどの仕事をしたあとに
知り合いの人の車で避難所に行った。
しかし国道6号線以外の山側の回り道を通って
向かったらバスよりも早く着いたと。
そこに市長と職員が待っていて
バスが着いたら避難者に聞き取りをして
名簿を作成してほしいと頼まれたそうだ。
国道6号線が渋滞していたので
到着までに2時間以上、通常の倍もかかったのだというのだ。
いかに避難の車でごった返したというのがわかる。
その後、佐藤さんは避難者名簿を作成して
避難所の運営委員会の代表を任され、
慣れない中を炊き出しや市への要望など
避難生活にかかわるすべてを
4月14日の避難解除まで責任をもって
務めてきたきた。
苦労もあったがそこから得られたものも
たくさんあったという。
(つづく)
いわき震災伝承みらい館 (memorial-iwaki.com)
東日本大震災 福島県 いわき市 四ツ倉〜久ノ浜地区 2011年4月1日 - YouTube
【東日本大震災】福島県いわき市 久之浜地区の大久川に押し寄せる津波 - ニコニコ動画 (nicovideo.jp)
(津波の映像のため閲覧にご注意ください。)