もう一人のS(捜査協力者)たった一人の闘い

前日のブログで、拳銃摘発の捜査のために

暴力団関係者やその人物に通じている者を

協力者として利用する、その暗号が

S(スパイを意味)だったことを知った。

そして昨日の東京新聞こちら特報部」では、

盛一(もりいち)克雄さんという男性が

かって覚せい剤摘発に協力したSであること

を告白したと伝えている。

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盛一さんは二十歳ごろにクスリに手を染めた。その入手先は勤めていた風俗店の

従業員の知人男性。その人物から地元(加賀市)の石川県警大聖寺署に連れていかれて

生活安全課長の課長クラスに会い、そのときは売人になったりするなよと

言われただけだが、その後に部下とおぼしき刑事と名刺を交わして

あそこのグループとつき合うなとか自分に有利な情報をながして

信頼関係を得ようとしたのではと思ったという。

そして「協力」を求められる。取調室で

白紙の調書に氏名を署名するよう求められ、指紋も押した記憶もある

と。枚数は覚えていないが、

「警察に協力すれば、覚せい剤をやっていても逮捕されないと思った」

とためらいもなく協力したという。

一緒に飲み食いもし、電話に出ないと自宅や交際相手の女性宅にも

来た。協力もエスカレートして刑事の指示で知人に覚せい剤を買いに行かせ

そこで逮捕することもあったと振り返る。

結局10年ほどで結婚などを機に刑事と縁を切り

小松市で木材会社を営み、子宝にも恵まれる。

 

しかし、2014年3月金沢中署により

覚せい剤取締法違反(譲り渡し)の容疑で逮捕され、

取り調べを受けた時に、あの時協力した「アイツ」こと

大聖寺署にいたその刑事と再会したのだ。

その2~3年前にクスリに手を出したのは事実だが

逮捕される数か月前にやめていて、なぜ自分が譲り渡しの容疑で

捕まるのかがわからなかった。そして譲り渡しは不起訴になったが

使用の容疑で再逮捕される。「警察の捏造だ」と否認したが

起訴され、盛一さんは公判前手続きで証拠を一つ一つ確認したため

拘留期間は約400日間にもなり、その間会社を手放し、

妻とも離婚、一審で執行猶予付きの有罪判決、控訴審でも覆されることは

なかった。

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その裁判の過程で知人女性の調書が事実と異なることや

関係調書を検察側が隠していた疑いが浮上したことで

2017年「防御権の行使が妨げられた」として

慰謝料100万円を求める国家賠償請求を起こした。

判決は7日に言い渡されるが、盛一さんは

「この事件でもう5年も争っている。穏やかな生活を送りたいという

 思いもある。」という一方で

「一番の願いは真相究明。再審請求も考えている。似た経験をした人が

 いれば力になりたい」と取材の場で語っている。

石川県警は「確認しようもないのでコメントできない」

さらに裁判の判決でも、警察が被告人に内容が虚偽の供述調書

の作成を求める理由や、それに協力する理由が判然としないため

にその告白(供述)は信用しないとした。

ただ、あの時の取り調べに「アイツ」がいた。

「確か『アホ』とかそんなことを言っていた」と盛一さん。

本人が過去に協力した事実に関する証拠が全くないわけではない。

それがあの刑事ということではないのか。

確かに過去に覚せい剤を常用したことを考えると

警察や裁判所はこの告白は出まかせだろうと

切り捨てるのは簡単だ。前科者のレッテルはそれだけ重い。

しかし覚せい剤摘発は最近の有名人の相次ぐ逮捕劇を見ても

警察や麻取(厚労省地方厚生局麻薬取締部)が

ルート解明のために摘発を徹底的にやるあまりに

虚偽の捜査や取り調べで、すでにクスリから足を洗った人間を

再び犯罪者に仕立て上げる事態がすでに起きている。

それがNNNドキュメントでやった拳銃摘発と引き換えに麻薬密輸

を許したあの事件ではないかと言われているのだ。

元警部と元協力者Sの告白は決して無視してはいけない。

さもなくば結局最後に笑うのは、警察などの国家権力の手に負えない

陰に隠れた巨悪なのだから。

friday.kodansha.co.jp

 

 

 

 

「自爆 元警部の告発」を見て

「当時はとにかく拳銃を挙げろ。手段を問わない。

 必要であれば買ってでもいいから。」

「隠匿場所を知っているS(スパイ)を獲得するのが

 常套手段だった。」

「Sが機関銃を持ってきて、コインロッカーに入れたって連絡してきた。

 その番号が893番、ヤクザですよ。はっきりいって

 拳銃摘発の9割はほぼヤラセです。」

2日深夜に日テレで放送されたNNNドキュメントは

北海道警の元警部、稲葉圭昭氏の告白で番組がつくられた。

稲葉氏は映画「日本で一番悪い奴ら」の原作本の著者であるが、

いまは札幌市内の市場で総菜の製造販売を営んでいる。

「よしあきのだし巻き玉子」1切れ120円、2切れ220円。

日の出前からたくさんの玉子を焼き、サンドイッチも自分で

仕上げをこなす。今年で65歳になる。

その人物がかって拳銃対策課のエースとして、

多くの銃を摘発して北海道警(道警)を全国1位に導いたことを

知るものは少なくなっている。

その稲葉氏が覚せい剤と拳銃所持で逮捕されたのは2002年7月。

覚せい剤密売にも関わっていたことも発覚して

現職警官の薬物スキャンダルとして世間を騒がせたが、

実は、拳銃を摘発する捜査を続けていくうちに

「人としてやっちゃいけないことをやっちまったんだから」。

つまり悪いのは稲葉氏だけではなく、

道警が拳銃摘発のために覚せい剤密輸を

許してしまうという組織ぐるみの犯罪を隠蔽するために

稲葉氏が切り捨てられたというのだ。

前述のSは暴力団関係者でその関係を保つために

飲食などで多額の金が必要となり、自腹で出来なくなると

覚せい剤密売に手を貸すことになり、

自身も所持や使用までするようになった。

その密輸で多額の金を手にすると

生活面での羽振りが良くなっていったが

道警側は見てみぬふりをするばかり。

自ら暴力団員になりすまし、300万円で拳銃を買ったこともある。

「自分の(柔道でつぶれた)耳を見て、おまえサツだろうと言われて

 拳銃を突き付けられて怖い思いをして、ションベンちびりそうになった。」

300万円は?「税金です。税金が暴力団に流れた。」

2000年、石狩港からの覚せい剤130㎏と2tの大麻の密輸を

見逃す代わりに拳銃200丁を押収させることが出来るとSから情報が入り、

稲葉氏の上司が税関の根回しをして4月に覚せい剤の密輸は果たされるも

Sが飛んで(失踪)、その密売仲間が「出し抜かれた」と稲葉氏に迫り

結局大麻2tの密輸にてを貸して、その引き換えに税関に別のSに出頭させて

20丁の拳銃が押収されたが、

「道警には全く意味がなかった」と。

その後銃器対策課を外された稲葉氏は自暴自棄に陥って逮捕、

裁判の被告人陳述でこれまでのヤラセ捜査を告白するも、

道警は事実が出なかったとしてこれを否定。(2003年2月・道議会で)

しかし密輸を知っていた当時の上司や情報を持ちかけたSがその前に

自殺したことで疑惑はやぶの中に包まれたままに。

しかし、あるロシア人に対して違法のおとり捜査をSと仕掛けて、

拳銃を持ってくる替わりに中古車と交換するとおびき寄せ

船からSに銃を渡したところを道警が逮捕した一件があった。

それを稲葉氏が裁判で証言し、道警とSが隠蔽をした事実が

明らかにしたことで再審無罪になったこともある。

事件が起きたのが1997年、それから20年経ったこと。

稲葉氏は自らの使命感を持って仕事を続けたのにも

かかわらず、法に違反したことで道警から切り捨てられた。

しかしこの行為を見てみぬふりをしていた側の

責任を問われることがない。

そしてこれが警察の体質が再び問われることになる。

しかしそのことにどれだけの人が気が付くのだろうか。

拳銃や覚せい剤は自分に関係ないからというのは、

間違いだと思う。

これ以外の事件でも警察の不祥事が相次いでいる。

そしていつそのような事態に巻き込まれ、被疑者になるかは

決してわからないのである。

「自爆」この題名の意味は重い。

それに至らしめたのは果たして誰だろうか。

自己責任では結論づけられることではないはずだ。

gendai.ismedia.jp

www.ntv.co.jp

 

 

 

 

 

 

 

日曜日の日暮里駅

(承前)チーズあられを手に入れた後、日暮里から

堀切菖蒲園へ行く前に駅の周辺を見てみたら、

北口の出口沿いにある橋のたもとには

子ども連れの家族らしき人達がたくさんいた。

お目当てはその下を走る様々な列車たちだった。

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「親子鉄」が多くなったと最近のテレビ番組で紹介されるようになったが、

ここが話題を呼んでさらに集まる人が多くなったということか。

それならこちらも写真を撮ってみるかと思ったら

あっと言う間に上りの「はやぶさ・こまち」が通過、

取り損ねたので、まずは常磐線のE531系を。

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次はタワーマンション京成電車の下り便を。

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やはり高架線だと車両全体が撮りづらい。

そして下りの北陸新幹線はくたか」を。

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なんとかうまくいったような気がするが、橋の真っ正面からだと

もっと迫力がある1枚になったかもしれない。

そして京成線ホームで撮った特急スカイライナー。

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ホームドアがあったので全体は写すことは出来なかったが

まずまずといったところ。ちなみに5月25日に矢切(北総線)付近で

撮影したのがこれ。

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ちょっと遠めでわかりづらいと思うが、緑と黄いろの風景のなかに

青と白の車両カラーは良く映えるなと感じた。

最後に帰宅途中で金町駅で撮ったのがこの車両。

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電化路線の架線、軌道、信号の検測を担うE491系電車。

「East-iE」の呼称を持つのだが、新幹線用の「East-i」

と同じくらい見つけるのがなかなか難しい事業用の車両で

まさに幸運だった。

たまに「撮り鉄」になるのも悪くはない。

youpouch.com

あーチーズあられが食べたい!

31日の朝、ネットニュースの一つに

「チーズあられ 販売終了へ」を見てびっくりした。

今でも近くのスーパーの駄菓子屋コーナーへ行けば

簡単に買えると思っていたからだ。

www.asahi.com

もっとも記事によると静岡・浜松地区の地元企業でつくられて

いたが、その会社の倒産でやはり浜松のエルミオーレ製菓が

製造販売を引き継いでいたが、この会社も赤字が続いたため

5月いっぱいで廃業し、生産が終了されることだったが、

私がこどもの頃に食べたチーズあられのパッケージが

若干違うので、ひょっとしたら違うメーカーが

似たようなのを製造していて自分が買っていたのは、

中止になるチーズあられとは別物ではないかと

思った。そこで休日を利用して探してみようと。

日暮里駅前にある旧駄菓子横丁からの歴史がある

「大屋商店」へ。そしたらありました。

昔食べた記憶があるチーズあられが。

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店の人に聞いてみたら

やはりネットのニュースについて

「聞いてないよーって感じだった。でもいまは問屋筋の情報よりも

 ネットのほうが情報が早く入るんですよね。」

と話してくれた。チーズあられを製造販売しているのは

全国に3社あって、うちの1つが中止になったのが正しい情報で、

それがエルミオーレ製菓ということだった。

ちなみに買ったのは北九州市に会社がある

「中村製菓」というメーカーだった。

「まだ在庫はあるからね!」と最後に声をかけられ

うまい棒もおまけにくれて感謝。

帰宅して家族と試食。

「チーズの味が薄いわね。」でもこれが懐かしい

駄菓子の味なんです。むしろ、今のチーズ味のスナックが

味が濃すぎるんですよ。ちなみに今回は大人買いをしたため

20袋入りで560円でした。

macaro-ni.jp

 

 

 

 

もうひとつの5月25日

吉祥寺から松戸の矢切地区まで忙しく回った

5月25日に移動中の京成バスの中で撮ったのを

思い出して、これを。

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別に松戸方面は関係ないだろうと思ったが、

都市農業の講演とトークが終わって江戸川沿いの耕地へ向かう途中の

外環道(県道との交差点)の電光案内版にも

「要人来日 都内警戒 交通規制実施中」らしき

情報も流れていた。もっともトランプ大統領夫妻が到着したのは

羽田空港だし、茂原市でゴルフをやったのも翌日だったから

その周辺はずいぶん大変だったことだろうと思うが、

こういう時は都内に入らないほうが一番良いと心得ている。

それにしてもあのプレーが終わった直後に、

大統領自身が

貿易交渉で農業と牛肉で大幅な進展があったとかで

参院選が終わったら大きな数字が出てくると思うから

アメリカ国民は)楽しみにしていろよと

Twitterに書いていたのにはさすがに驚いたな。

そして日本のマスメディアがだれも突っ込まなかったのは、

別に驚かない。

日本の国益を考える報道をもうやめてしまったのは

以前からわかっていたことだから。

でもこれが「ゆるぎない日米関係の成熟」なんて

はっきりいってウソだと言わなければいけない。

こんな友人関係をあっさり裏切るようなことをするなんて

本当なら絶交ものでしょうに。

やはり「日本は永遠にアメリカの属国である」と言ったほうが

わかりやすいと思う。

www.nikkan-gendai.com

headlines.yahoo.co.jp

2019年5月の松戸・矢切耕地

5月25日の松戸の都市農業振興計画に関する講演とトークの会

が終わり、本当ならば参加した全員で江戸川沿いに広がる

矢切耕地をウオーキングする予定だったが、

気温が下がらないので中止になり、自主的に行きたい人は

歩きに行ってくることになった。

私はひとり会場の市民活動サポートセンターから県道沿いを

南下して「酒のビックボス矢切店」から矢切神社に入り、

案内版通りに庚申塚へ向かい、いったん野菊苑に立ち寄り

ここから江戸川を見て写真を撮るも逆光のため

うまく写らず削除。さらに矢切の渡し方向へ

歩くとここはもうのんびりとしながらも

ラクターが走り、耕し、田植えが終わったばかりの

耕地の風景が当たり前のように広がっている。

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斜面緑地という言葉をトークで知った。この地区は地形が独特で

松戸の矢切地区はまだ斜面の先は農地に向いた平地があり、

市川に近づくにつれてこの斜面が川に直接接するような地形となっている。

だからここは都市農業にとっての貴重な場所といっても良い。

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以前行った時はお花畑が目立っていたが、

いまは特産品の矢切ねぎの他に、キャベツや枝豆、なすや

大麦の畑も見ることが出来た。

ただ「野菊のような人」の石碑がある橋は雑草がぼうぼうで

移動するのはほとんど車と、観光には今一つ整備がされていないような

印象があった。もう夕方とあって京成バスの矢切の渡し停留所

の案内所「野菊の蔵」も早々に閉まっていたことから

旧矢切高校近くから松戸駅行きのバスに乗ろうと

河川敷沿いに歩いたが、結局乗り遅れて

最後は松戸駅までそのまま歩き続けるはめになってしまった。

そして旧矢切高校近くには

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いかにも産廃か建設残土らしきものがおいてある場所を見かけた。

ここまで来ると外環道も見える。

このあたりに物流倉庫や道の駅など公園を整備するとか言っているが

こんなものはいらない。今まで通りの風景があれば

観光・産業・文化などの面で約に立つことがいっぱいあるだろうに。

なにげない農地でもいまや東京に近い所では

これだけの広さは貴重だ。あとは市民全体がこの矢切の耕地の

良さにどれだけ気が付いてくれるかなのだから。

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www.jalan.net

 

都市農業の未来を松戸のこれからに活かせるか

5月25日、「自由な風の歌コンサート14」の練習を終えた

後に、吉祥寺からまつど市民活動サポートセンターへ移動。

「~都市農業の未来を学ぼう~松戸市都市農業振興計画の

 スタートにあたって」というテーマで

講演とトークの会に参加するためである。

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講演は千葉商科大学人間社会学部の専任講師を務める

小口広太(おぐち こうた)さん。

農業系の専門学校の講師などを経て東京などの

都市農業に関する調査研究や農業実習などもやっていることで

その内容は実に濃密で説得力のあるものだった。

1970年代からに高度経済成長期、そしてオイルショック以降の

低成長期のなかで都市部にあった耕地は、

国の農業施策からの除外、都市計画法(1969年)制定による宅地なみの課税強化、

さらに世論からの敵視などでどんどんその規模が小さくなっていったが、

1990年代末から都市農業に対する再評価が高まり、

そして2000年以降は都市農業振興基本法、生活緑地法の改正

さらに都市農業基本計画を国が策定したことから

その関心と多様性が高まりつつある。

東京だけに限って調査してみると

全体的な農家の世帯数は減っているが、

専業農家の数は逆に増えていて、耕地面積(1経営体当たりの)も

0.5ヘクタール未満が47%を占めているが

(0.5~1.0haは34%)、野菜や果樹を中心とした多様性に富んだ

栽培面積を持っていて、地産地消を主とした

多くの販売形態をもっていることが強みにもなっている。

つまり農地(耕地)が小さくても経営と販売の方法を

今までのやり方(JAに卸すだけ)にこだわらなければ

農家を続けることが出来て、しかも稼ぐことが出来る。

一見、地方に比べるとハンデが多いイメージの

あった都市農業は実はこれからの展望が明るいというわけなのだ。

また、農地を残しそれを発展させることは

地域の環境や社会性を守りはぐくむといった

「多面的機能」があり、これを伸ばして

農産物の供給を中心とした機能のみならず

都市部の防災、農作業体験による学習・交流の場の提供

さらに農業の理解の醸成によって、福祉との連携

すなわち高齢者や障がいをもつ人が生きがいをもてる

社会づくりへの貢献ができるし、

この実践がすでに行われている(日野市・石坂ファームハウスなど)と。

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講演後は休憩をはさんで、増田薫松戸市議の進行で、小口さんと矢切で農業をしている

方とトークを。やはり話題になったのは都市農業は安全で質のたかい農産物を

作り、いかに中間マージンを経由せずに消費者に直接売る手段(直売所など)を

増やすことで確実に稼ぐことが出来ることと、それには農家自身の努力が欠かせない

ことと、地元自治体が政策面で「やる気」をサポートできるかという事だった。

矢切地区は東京外環自動車道千葉ルートの全通で大型物流倉庫の建設が予定されている

ことや、さらに市がここに道の駅や大規模な公園の建設計画を考えていることで

「田んぼだけでなく、畑が少なくなる。新規どころか農地を借りてやろうとしても

 出来なくなるかもしれない」と農家の方からの声。

その中で市は独自の都市農業振興計画を3月に策定させたが、

「この中に(農業者の確保と育成の課題に)農業後継者の配偶者

 新規就農者の育成と書かれているけど、

 新しい農地をまず確保しなければ出来るわけがないんですよ。」

「新しい農地について農地中間管理機構に相談したら

 松戸市以外(埼玉県など)の耕地を紹介された。

 農業を続けたければ松戸から出ていけということですか。」

また法に基づき農業委員会が自治体に必ず設置されているが

「農業を知らない(経営面で)農業委員はもういらない。

 地元の農産物を直接売ることがまず大切なんですよ。」

小口さんは練馬区の例をとり、積極的に農家たちが主催するマルシェなど

の支援や、また日野・小平市が地元野菜を小中学校の給食で使う施策

を進めたことなどをとりあげたが、

結論として、松戸市の農業の現状を多くの市民に知ってもらうことから

始めなければ矢切の耕地を守ることもままならないことが

重要であると。特に倉庫建設には地元の一部住民などから逆に

開発を進めてほしいと請願があったこと(議会は多数が表向きでは反対姿勢)

や市の農業関係予算は全体の0.3%に満たないことや

「市議会で農業に関する議論や質問がほとんどないことが問題だ」

など、ふつうに松戸で生きていると見えない農業の課題に

どれだけ向き合えるかが見えてこないことがもどかしい思いだ。

www.tokyo-np.co.jp

www.maff.go.jp

「矢切耕地は貴重」「まちづくり委」が答申 松戸よみうりHPより

https://www.matsudo417.com/matsuyomi/?p=2287