新・原爆小景という合唱曲( #広島 #原爆 #平和 #原発 )

「安らかに眠ってください

 あやまちはくりかえしませんから」

原民喜の詩の一節を繰り返して唄う。

2019年の「コンサート・自由な風の歌14」

林光作曲の

沖縄を主題にした島こども唄

「てぃーち・でぃーる/じんじん」

「べーべーぬ草刈(くさかい)が」

「てィんさぐぬ花」

そして日本国憲法前文・9条の歌とともに

唄ったのが

「新・原爆小景(混声合唱のための)」だったのだ。


f:id:shiraike:20230806113505j:image

 

この曲は三部に別れていて

第一章は「行列(パレード)」。

近未来の8月6日、

ひょっとしたら日本がこうなってもおかしくない風景。

軍事パレードのような行列のなかで

スピーカーから流される。

それが最初に書いたカッコ内の一節だ。

指揮と指導を務めた飯村孝夫先生の

朗々たる言葉のぶつけ方(林光の作詩だが、歌ではなく朗読だ。)

の迫力に乗せてわずかなメロディを歌い切るという

簡単なようで

難しい「見せ場」をなんとかやり抜いた。

原爆を「抑止力」と選択することを

許さないと力を込めて。

第二章は「貝の歌」

海の底に生きる貝のつぶやき。

その貝たちがもしも反戦や平和を訴えたらという

これも林光の作詩によるもの。

そういえば「私は貝になりたい」という

テレビドラマもあった。

しかし貝は静かにならない。

時には訴えることもある。

それが人間に届くかどうかであるが。

そして最終章(第三章)は「永遠のみどり」。

ヒロシマのデルタに

 若葉うづまけ

 死と焔(ほむら)の記憶に

 よき祈よ こもれ

 とは(永遠)のみどりを

 とはのみどりを

 ヒロシマのデルタに

 青葉したたれ」

この時に崔善愛(チェ・ソンエ)さんのピアノの他に

上原なな江さんの迫力ある打楽器に乗せて

歌いまくったのを思い出す。

プログラムを取り出して見返すと

原民喜は1905年生まれで被爆

1951年3月に西荻窪自死

その直前にこの詩を地元紙の「中国新聞」に送っている。

そして林光は原民喜の詩を作曲していたが

「永遠のみどり」を作曲できずにいた。

核の恐怖が解決されていないなかで

この詩に曲をつけることが可能なのかどうかに

疑問を感じて先に進まなかったそうだ。

1975年のこと。

そして完成したのは2001年。

「新」がついているのは初演が1982年。

まだ最終章が完成されない中で

東京混声合唱団「八月のまつり」で発表されたから。

確かに広島に永遠のみどりをの願いに反対する者はいない。

しかし、それを保証してくれる物はいまだに何もない。

林光も将来への危機を感じていたのだ。

「それを乗り越えるのが芸術的想像力というものだと、

 もちろん承知もし、それを信じているのだが」(プログラムより抜粋)

それを乗り越え、願いを込めて

新・原爆小景を遺した。

この思いがいまの世界の為政者に届いて欲しい。

ウクライナ情勢がいまだに先が見えていないのだから。

www.asahi.com

www.aozora.gr.jp

shiraike.hatenablog.com