ことしもこの方から元旦に年賀状をいただいた。
広島市の矢川光則さん。
昨年末には、
被爆ピアノの全国コンサートの報告を兼ねた
新聞記事のコピーがたくさん届いた。
函館では特別支援学校で特別授業が
行なわれて3年生18人が伴奏に合わせて
校歌を合唱。(10月19日)
わかやま市民生協主催でコンサート。
ピアニストの川口真澄さんは
娘クルミさん(9)と競演。
同じ月の25日には長野県安曇野市で
コンサート。一夜でピアノを長距離で移動する
矢川さんの熱意にはただ頭がさがる思いだ。
この2公演では元宝塚歌劇団で
シンガーソングライターのまほろば遊さんが
歌唱で参加。「平和のピアノ」「原爆許すまじ」
「死んだ男の残したものは」が歌われたそうだ。
10月17日には青森南高校で。
合唱部とも競演したそうだ。
「ピアノに穴や傷がたくさんあり、
戦争の悲惨さを実感した。世の中から『戦争』という言葉がなくなってほしい。」
(演奏を聴いた同校2年の木村大映さん)
26日は八戸学院大学短大の主催で
ポータルミュージアムはっちで行われた
講演会で演奏。
講師の
県原爆被害者の会・藤田和矩(かずのり)会長は
爆心地から約1.5キロで被爆した両親の間に生まれた胎内被爆者で
腕や足がただれた状態で生まれ
母は出産半年後に原爆症で他界、
自身も4歳まで歩けなかったことや
母の写真を肌身離さず持っていることを
明かしたとのことだった。
11月19日には宮崎市メディキット県民文化センターでコンサート。
宮崎市・大宮小学校の合唱部らと
「いのちの歌」「折り鶴」を。
地元の若者グループHuRPによる
被爆体験者の詩の朗読もあり
戦争を知らない世代が平和について発表するのが
胸に残るとの感想もあった。
そして、
以前新宿でみた
映画「おかあさんの被爆ピアノ」が
アメリカ・ロサンゼルス日本映画祭で
「平和賞」を受賞した。
まさに郎報だ。
先々月には11日にティアラこうとうで
上映されるなど
今後も自主上映が予定され
70歳に矢川さんはさらにトラックに
「カズコのピアノ」を乗せて
「平和の種まき」のために
全国を廻ることが続くだろう。
「被爆して77年たっても
まだ元気な音が出て、命の尊さを伝える役目を
果たしている。
このピアノが平和を考える
きっかけになれば。」
(八戸にて)
(ことし9月から10月までのスケジュール表。
長野県内から山形までの具体的な日程がぎっしりと。
矢川さん、本当にご苦労様です。)