科学忍者隊ガッチャマンのキャラクターなどを
制作して、昭和時代のヒーローアニメ人気を引っ張ってきた
報道に接したのは7月に入ってからのことだった。
(1日に逝去。享年83歳。)
私はガッチャマンやタイムボカンシリーズなどで
九里一平の名前を何度も見て
刷り込みのように覚えていた。
この人がこのアニメの制作に関わっていたんだという
ささやかな記憶を入れたまま大人になったのだ。
23日の東京新聞の朝刊「筆洗」より。
高度経済成長期にあった1967年の新聞テレビ欄を見ると
午後6~7時台に週10本を超える
「子ども向け」アニメがひしめいていた。
その中に「マッハGoGoGo」もある。
タツノコプロが初めてメジャー的な人気を得た作品だった。
私が生まれる3年前のことだが
その前身である「竜の子プロダクション」が設立されたのが
1963年。初代社長の吉田竜夫さん、2代目社長の吉田健二さんとともに
設立したが、それ以前は漫画や劇画を描いていたとは知らなかった。
その作品は戦後の進駐軍による影響を受けたということで
アメリカンコミックのような迫力ある絵から
正義のために活躍するヒーローたちの物語は
日本以外の国にも受け入れられたのかもしれないと記事から。
その一方で、思い入れのある作品はと聞いたら
「みなしごハッチ」(監督・演出)だと。
巣を襲われたことで
女王バチのお母さんと離れ離れになったハッチが
旅をする物語は
両親を早くに失い、苦労した自分と重なるか。
だからこそ子どもには夢と勇気を贈りたかったのだろうと。
いまのアニメは時代の変化で
ストーリーの多様化が進んでいるが
タツノコプロのアニメには
昭和という時代の足あとがしっかりと残されたと思う。
だからこそ、年号が「令和」に変わっても
九里さんと吉田「タツノコ」兄弟の仕事が
これからも大事に残ってほしい。
合掌。