大阪の太陽の塔を作った人が千葉にいた!

マジすげぇと思った。

3月12日の放送された

テレビ東京の「家、ついて行ってイイですか」に出ていた

村主武さん(78歳)。

「すぐり」と読みそうだが

祖父の代から「つくり」に代えた。

絵を描くことしか取り柄がないと思い

福岡(宮田町)で高校まで送り

多摩美術大学に進学した後

ペンキ屋でアルバイトをして

なんと映画「ゴジラ」でいつも踏みつぶされる

石こうで作ったミニチュアのビルをつくる

美術の仕事のために東宝(の撮影所)に通っていたのだ。

そして大阪万博(1970年開催の)で

プロジェクトに関わっていた友人に

人出だ足りないからと声をかけられ

現場に行ったら

岡本太郎がデザインしたあの「太陽の塔」を

拡大したときに、その塗色をめぐって言い合いになり

村主さんが

「失礼ですけれど、この色を混ぜても

 (理想の色は)出てきませんよ」と言ったら

岡本さんは村主さんの顔をじーっと見つめて

「どういう色を混ぜれば

 この(理想の)色が出るのでしょうか」と言ったそうだ。

それが最初の会話になったと。


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「僕みたいな人間(当時は大学生)に対してね、

 きちっと敬語を使って

 ああ、偉大な先生だと思いましたね。」

それ以来太陽の塔の顔の部分の

制作を任されるようになったのだ。

卒業後は川崎市などで美術教師を勤めて

妻子にも恵まれたが

定年後に離婚して

たった一人で南房総市のJR岩井駅近くの

旅館だった建物に知人の紹介で

移住したのだそうだ。

2019年の台風で離れの家屋の屋根が吹き飛ばされる前は

陶芸教室もやっていて

番組スタッフから声をかけられた日は

なんと県展(千葉県民ならピンとくると思う)の搬出日で

陶芸の壺を出展したのだと。

家族のために働き、

日本にとって歴史に残る万博にもすべてをぶつけて

今でも自分のやりたいことに集中している。

この人には「第二の人生」なんてないだろう。

すべてが「今が人生」なのだから。

カッコよさと潔さこそを両立させることが

老後を乗り越え、自分らしく生きることへの

カギをいうことなのかもしれない。

shiraike.hatenablog.com