ショパンもロシアと・・・(ショスタコーヴィチも)

きのうのブログで書き残したことがある。

自由な風の歌合唱団コンサートの構成とピアノ演奏に携わった

崔善愛(チェ・ソンエ)さんが

演奏の合間に話をしてくれたことだった。

 

崔さんは長年ピアニストとして

フレデリック・ショパン(1810~1849)の研究を行っていて

ショパンの遺した日記などの文章などを読んできた。

いまロシアのウクライナ侵攻の行方が不透明な状況だが、

ショパンポーランド人として

1830年にプロイセン(いまのドイツ)、

オーストラリアとロシアの分割統治を経て

独立国としての国土がなくなったときに

自身も武器を持ってロシアらと闘うことも考えたが、

父親や友人から帝政を倒した市民革命以降に

ポーランド独立を支持するフランスに亡命せよと言われたことから

その年の10月に国境を越えてウイーンに。

4週間後にワルシャワ蜂起が起こるも失敗に終わったことを

シュトゥットガルト(いまのドイツの)で聞き

その絶望の中で「革命」を作曲し、

さらに「ノクターン(嬰ハ単調・遺作)」

「別れの曲」など、題名は知らなくても

誰もが一度は聞いたことのある名曲が生み出された。

ショパンは死ぬまで母国に帰ることが出来ず、

ポーランドが123年ぶりに再び独立したのは

没後70年後の1919年(大正8年)。

自らの日記には神を仮の名前をつけて

ロシアに対する憎しみや怒りを遺したということだが、

戦争が残すものは常に対立と分断であり

それはとてもやりきれないこと、

いったいどのように考えたらよいかわからなくなると

崔さんはこのような思いを語ってくれた。

国は違っても「歴史は繰り返す」ということだろうか。

 

また、コンサートでは崔さんのピアノと

三宅健さんのチェロの合奏があり、

林光さん(きのうのブログ参照)が

いつもコンサートの最初で演奏した

バッハの「アヴェ・マリア

宮沢賢治の詩より「星めぐりの歌

2010年のコンサートのために林光さんが

書き下ろされた「序奏ー〈トラジ〉のために」

そして「チェロとピアノのためのソナタ 作品40」

この演奏の時も崔さんから解説があり

ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906~1975)が

この曲を世に出した時代は

世界恐慌からドイツ・ナチス政権樹立、そして第二次世界大戦への

動きが少しづつ進んでいた中で

「自分たちの記憶を、記憶として残すことが許されなかった」

世相と社会だった。

その中でショスタコーヴィチは自らの音楽性を残し続けようとした。

厳しい時代背景のなかで自らのアイデンティティさえ

表現することが許されなかったことへの抵抗が

逆に時代を超えた名作を生み出したというのも皮肉だが

いま、国際情勢が不安定ななかで

また同じような自由を自らの手で縛り付けるような

時代を迎えてしまうことだけは

絶対に許してはならないと

改めてそう想った。

shiraike.hatenablog.com