「長生きしてよかった~強制隔離と現代アートの島で~」で見た訴えと理解とアートと

16歳で故郷を離れたときは

すぐに帰ることが出来ると思っていた。

でも母親は自分が乗っているバスを

追いかけ続けていた。

髪の毛を振り乱して。

それから67年、

故郷に帰れず自分は大島にいる。

 

11月24日の早朝にみた

テレメンタリー2019は

ハンセン病で強制隔離された

元患者の野村宏さん(83)の生い立ちが

アートになって

多くの人々に触れる機会が出来たことを

レポートした。

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瀬戸内国際芸術祭。

香川県の12の島がそのままアートの空間になるイベントであるが

2年前にハンセン病療養所のある大島も

会場の一つとなった。

そこで絵本作家の田島征三さん(79)が

「Nさんの人生大島70年」を発表した。

それも以前使われていた収容者の施設に絵と言葉と

実際に使われていた木製便所などの再現(レプリカ)を

するなどして、建物の中を巡ることで

野村さんの歩んできた人生がわかると

いう作品になっている。

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「野村さんのつらい人生というものを全く知らなかった。」

田島さんは野村さんを縛り続けていた「らい予防法」による

強制隔離を知ったことから、

それを知らないことこそが罪を犯し続けているものだと思い

多くの人達に「無知こそ最大の罪」だと

この作品で呼び掛けている。

今年の夏は1万人以上の観客を迎えた大島は

サポーター「こえび隊」による

ガイドツアーで療養所の歴史や

施設などを知ってもらう機会をつくっている。

また来ていただいた人と野村さんとが

接触れ合う時間やゆとりもあることで

誤解や偏見を少しづつなくしていくように

なってきた。

「こんなに多くの人達に出会えることが

 出来て、長生きしてよかった。」と野村さん。

しかし、野村さんは故郷がいまどうなっているかということも

家族や親せきの消息がわからないままだ。

ハンセン病家族補償法が施行されて

家族や親族にも補償が拡大されるようになったが、

いまの野村さんの肉親は

療養所で知り合った奥さんのみ。

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「子どもは中絶で堕胎させられ、

 ホルマリン液の中に漬けられたんだよ。

 悲しくてね。海で大声で泣けないから

 山のほうにこもって泣いたんだ。」

(野村さん)

自分が死んで葬られるのも

大島の納骨堂だということもわかっている。

果たして、野村さんが出ているテレビを見て

自分が親族であると名乗り出る人がいるだろうか。

しかし、野村さんは

今回のアートの近くにある畑で野菜を育て

自然と共生しながら毎日を過ごしている。

らい予防法廃止になるまで

一般の人が入れなかった大島も

いまでは定期で船便があり、

そして毎月第2土日にカフェの利用と作品展示が出来るように

なっているのだそうだ。

一度行ってみたい。

最後に素朴な疑問。

同じ芸術作品なのに、

どうして「元ハンセン病患者」が良くて、

どうして「元慰安婦」がバッシングされるのだろうか?

私にはわからない。

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