きのう、安倍首相が午前中に
6月28日に国が敗訴したハンセン病家族訴訟(熊本地裁)について
控訴を断念すると表明した。
そこできょうのブログは、
7日に下書きしたことから
紹介したい。
予想していたよりもたくさんの人達が来ていた。
企画展のためかと思ったら、14時から
ハンセン病を正しく理解する講演会があるということで、
先に資料をもらって展示フロアと企画展を見て、
会場の1階・映像ホールには時間ギリギリに入った。
中は満員(130人)に近い中で
徳田靖之さんの講演が行われた。
この訴訟は先月28日に熊本地方裁判所で、
(旧)らい予防法に基づく隔離政策は違憲であるとする判決が下された。
本来なら絶対安静のところを家のある別府から熊本まで
判決を聞き7月2日に集会、さらに4日には厚労省前のスピーチと
記者会見(司法記者クラブ)のために上京してここに来たとのことで
「声がかすれてお聞き苦しいところがありますが」と断りがついた。
大変な思いをして活動をしてきたのかと思ったら、
「私は他の弁護士についてくる形でハンセン病家族にアンケート調査
をすることがきっかけになりました。
それまでなにも知らないことばかりだったのでいわば
患者やその家族に対して申し訳ないという思いから
訴訟に関する活動を続けてきました。」
と、謙虚にその経緯を語った。
その被害とは、
明治時代から戦前にいたるまで浮浪者として
神社などにたむろする患者を隔離する目的から始まった
ふつうに暮らしている家族に、
ハンセン病(感染力は結核に比べて小さい)の疑いがある人がいたら
強制的に隔離させることを強めていったことにある。
1936年と戦後の47~60年代に
2度にわたる無「らい」県運動が行われ
そのためには、住民による警察への通報や投書の奨励や
地域ぐるみの通告文による排除が進められた。
当然ながら患者の家族は結婚、就職、学校等で
いわれなき差別や偏見にさらされ、
家族が分断状態になり互いに憎しみ合い、
縁をも切るまで追いつめられる。
「この訴訟は国の責任を明らかにするだけではなく、
私たち一人一人が実質的な被告人として
その社会的な責任に向かい合っていく必要性を
問うことも目的にすること」で、
原告である家族が受けた被害からの解放と
患者と家族同士の絆の回復を目指していると。
これらのいわれなき差別が表沙汰になった事例として、
家族同士の関係回復をするための旅行のために行った
黒川温泉でホテル側から宿泊拒否を受けて
それを知った熊本県がホテル側に厳しい処分を検討したら
ホテル支配人が恵楓園に土下座して謝罪。
しかしその時の元患者の怒りがテレビで放送された後に
恵楓園に300通もの誹謗中傷の手紙や文書が殺到した。
(黒川温泉宿泊拒否事件)
「これらの手紙を書いた人はみんな普通に生きている人だと思います。
しかし元患者や家族に対して同情や哀れみしか感じない。
だから権利をふりかざす行為には嫌悪感を覚えるのですね。
しかし、救うとか救ってあげるという意識から
差別が生まれる。あの時の事件はそこから生まれたのです」
と徳田さんは指摘した上で、
これからは社会全体が隔離から共生へと転換させなければいけないと
大きく訴えた。
徳田さんは国に対して控訴を断念してほしい、そのための
協力を最後に呼び掛けた。
「2001年の時は官僚の反対を押し切って
小泉首相(当時)は控訴断念を決断しました。
すると落ち続けていた内閣支持率が上昇したんです。
今度は同じことにはならないでしょうが
元患者は高齢化しています。
大臣は家族原告に会ってほしい、
そして直接生の被害の声を聞いてから判断してほしいのです。」
こちらも協力しなければならないと決めて
資料館を後にした。
ここまでが7日に書いたこと。
それから9日になって国は控訴を断念したのだ。
実はこの読売(夕刊)の記事にもあるように
厚労省からは患者家族の敗訴に終わった鳥取訴訟との整合性を巡って
「今の段階で控訴を断念すべきではない」という意見が出ていたが、
首相が異例の政治判断を下したと伝えている。
しかし「もし参院選がなかったら……? 」(10日付日刊ゲンダイの記事より)
この判断を選択しただろうかという疑問もあり、
なにより政府関係者が
わざと朝日新聞に控訴断念を検討するような情報をリークして、
患者家族の心を動揺させる事態まで起こしてしまった。
とは言え、決めた以上は一日でも早く首相と厚労相は患者家族に直接会って
心からの謝罪(国の責任を認めること)と、
誰もが納得のいく補償をすることをきちんと約束すべきである。