大阪・宮崎・長崎の旅(2)

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川南町に着いたことに歓喜を上げた半面で、
「もう午後4時を過ぎているのか。甘すぎた!」と自分の馬鹿さ加減を恥じた。
しかしJRの川南駅まで歩かないことには宮崎市の宿には辿り着かないし、
それには川南町の中心部に行かないことにはどうにもならないので、
さらに国道10号線を歩きつづけた。
途中で宮崎県立農業大学校ルピナスパークを見た。
パークも非常事態宣言が解除されたことで営業を再開し、ぶどう収穫体験も開始したとの看板もあったが
さすがにここに寄る時間がなかったのであきらめた。
詳細は下記のホームページで。
http://www.pref.miyazaki.lg.jp/nousei/einou/noudai/11/02.html
そして歩くこと約30分後、やっと10号と市街地と分岐する地点を通過して
川南町のトロントロン商店街入り口に入った。

シャッターがしまっている店舗が多く、大きな駐車場があるスーパーと、
手作りパン屋さんの建物が目立って見えた。
新聞やさんで地元紙を買ったとき、move(モ―ブ―)バンドという
シリコン製で手首につけて復興に協力するグッズがあることを店頭のポスターで見た。
買おうかなと思ったが新聞やさんにだれもいそうになかったので断念。
他の店で買おうかと思ったが買えませんでした。すみません。
詳しいことは川南町ホームページで。
http://www.miya-shoko.or.jp/kawaminami/
そして町役場に到着。

地元中学のOBらが応援幕を張っていた。
また役場向かいの税理士事務所にもこの看板が。

消毒や殺処分などの作業に奮闘する人々の労いと感謝の言葉だった。
文化ホールと図書館が入っているトロントロンドームにも行ってきた。

その玄関前には消毒マットとアルコールが置いてあった。

そして入口に近い道路には消毒のためにまかれた生石灰の跡があった。

消毒についてはこれからも徹底せよというわけだ。
市街地を離れてJR川南駅へ。もはや疲労困憊。
そんな時畜舎がからっぽの家を見かけた。
「まさか」と思ったが、畜舎には雑草が生えていて騒動以前から廃業していたことがわかった。
しかしさらに歩くと、

この写メを撮ったとき、胸が痛む思いだった。
畜産家には大規模な牧場もあれば、写真のような小規模な設備でやっているところもある。
しかし口蹄疫が発生して感染防止のために殺処分になれば
その地区のすべての畜産業が壊滅的被害を負うのである。
これから川南町は復興へ向けての歩みが始まるが、この2つの建物に牛や豚が戻ってくるかどうかはわからない。
私たちにできることとは何だろうか。
まずこの事実を忘れないことと、出来ることを考え続けることではないだろうか。
川南は日本3大開拓地の一つだそうだ。
この開拓地が死の町にならないように協力するしかないのだ。

川南駅に着いた時には宮崎行きの電車は発車していて
次の電車までは40分以上も待たされた。

でも冷房の効いた電車の中に入った時は、正直生き返った気分だった。
この日の宿のレストランで頼んだのは
宮崎和牛のハンバーグと煮込みの定食。こんなことでも
協力できたらと思い、おいしくいただいた。
さて1日から5日まで、宮崎では全国高校総合文化祭が行われていて、
私が泊まった宿にも多くの高校生たちを見た。
口蹄疫騒動が影響しなかったは本当に良かったと思った。

佐土原駅でもらったティッシュ
きょうのおまけ 8月6日にちなんで、新屋まりさんの「元安川」の動画を再度どうぞ。

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