きのう長井さん追悼展に行く

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きのうは渋谷のサイゾ―スペースで行われた長井健司さんの追悼展を見にいった。

ちょうど会場に着いた時に、戦場カメラマンの渡部陽一さんとAPF通信社代表の山路徹さんの
トークショーが始まっていた。
「申し込みはしなかったのですが。」「席はたぶん…空いてると思いますので大丈夫ですよ。」
3000円を払い、カメラの邪魔にならないように会場のいちばんうしろの席に座る。

渡部さんはアフガニスタンの取材映像を、あのテレビで有名になった
独特の語り口で私たちに紹介してくれた。
最初の映像は見られなかったが、アフガンの休日の映像。
遊園地のスワンボート、本当に危険がともなう絶叫マシーンで遊び、
日曜日に限りビール(日本円で約300円)を飲む部族がいること。
ゴルフ場はあるが、グリーンに芝はなく砂ばかりでアリもむらがるホールで
ベテランゴルファーと19歳のアマチュアマッチプレー(1ホールだけだが)する姿に、
いま日本がアフガンにどのような民生支援が必要かを考える材料になると渡部さんは語った。
また学校や塾で英語を勉強して国際ビジネスに強くなることで、インターネット事業やビジネスホテルなどを起業し、そうでなければ教師や政治家を志望する
若者たちがいる一方で、大麻マリファナ中毒に堕ちて行く若者たちもアフガンにはいることを紹介して、
日本以上の格差社会から若者たちに新たな希望を持たせるための支援が必要だと渡部さんは訴えた。
アフガンの人々は渡部さんのような日本人を見つけると、
戦争に負けた日本がどうして経済先進国として復興をとげたのかを
聞きたがるという。日本に学びたいのだ。
しかしマスコミの報道だけでは日本人はなぜ日本が豊かな国になれたのかがわからないのではと山路さんが指摘した。

私たちがテレビで見るアフガンは戦場と貧困の映像ばかりだが、
これはマスコミがセンセーショナルなほうが視聴者の目を引き付けると思いこんでいることに原因があり、
渡部さんは帰国後の「営業活動」では自分の作品を理解してもらえず散々苦労をしたのだそうだ。
山路さんも「アサヒグラフボスニア動乱の写真を売り込んだら、1ページ稿料8000円だった。」と話してくれた。
だからこそネット時代という一つの変化の中で、フリーランスのジャーナリズムが
希望をもてるようにならなければと2人は最後に語った。
その後、質疑応答で渡部さんは戦場取材を通じて多くの人との出会いに恵まれ、裏切られることがあっても
心が立ち直る方法(掃除と片付け)を見つけることで挫折から立ち直り新たな出会いと喜びを見つけたことで、
「これからもずっとこの仕事を続けたい。友達に再び会うために戦場に行くのです。」と話してくれた。
また家族の存在が「いのち」の大切さを考えるきっかけになったという。

トークショー終了後に希望する人と記念写真。右側の女性は妊娠3か月で
 「私の生まれてくる子供と同級生になりますね」と渡部さん。)
最後まで笑顔だった渡部さん。今後はアフリカを主に取材するという。
「ぜひみなさん、今度は笑顔で逢いましょう!」
長井さんはミャンマー取材中に軍の凶弾に倒れて亡くなった。あれから2年になるが
渡部さんら戦場取材に立つ人々にその心は引き継がれている。そう信じたい。
そして平和のために「知る権利」をどのように考え行使しなければならないのかということを
考え直さなければいけないと感じた。
長井さんや渡部さんが多くの取材でつかんだ真実を
全部見て知りつくしたわけではないのだから。
長井さんを銃撃した犯人は、いまだに捕まっていない。
(このトークショーニコニコ動画で放送する予定だそうです。)
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