プロジェクトBurma報告会(5)日本とビルマの間に

人気ブログランキングへ
今回のプロジェクトBurmaの取材で、日本とビルマのクォーターだという難民に出会った。
名前はキンジョウくん。富田きよむさんたちにあの「第2次世界大戦」についてずいぶん質問していた。
なぜかと聞いたら「自分は旧日本兵のマゴだ。」と言った。
戦前の日本は満州・蒙古(いまの中国東北部内モンゴル)だけではなく、
資源の確保のためベトナムから東南アジアへ向けて
軍事面での進出を行っていた。
そしてビルマミャンマー)では日本軍とビルマ独立義勇軍
共闘して宗主国だったイギリス軍を追いだした歴史がある。
2度も映画になった竹山道雄の「ビルマの竪琴」はこの時代を舞台にした物語である。
しかし1945年、今度は独立義勇軍反日蜂起を起こし
ビルマは独立を果たすもののカレン族との対立など
内戦が続き、2度の軍事クーデターで政権が替わるなど
内政と外交が常に不安定な状態のまま現在に至っている。
総選挙を前に解放されたアウン・サン・スーチーさんは
父が独立義勇軍の将軍だったが、のちに政権を奪取したネ・ウインらと対立して
1947年に暗殺された。そして本人はインドとイギリスへ留学をして
民主化運動のリーダーとしての思想的土壌を築いた。

この複雑な歴史をひもといてみても、
ビルマと日本とは一見縁遠いように見えて、かっては深い関係で繋がっていたのが
戦後になってから欧米に迎合し、中国に翻弄される形で
ただ「軍事政権に経済協力するだけ」の関係だけになってしまった。
ヤンゴン(ラングーン)から合法的に入ってくるジャーナリストもいますけど
 私はヤンゴンに興味はありません。北部(タイ国境部の)のほうは
 飢餓がこれから深刻になります。この状況を追いかけたいのです。」
ところが、キンジョウ君はそんな富田さんにあるお願いをした。
ヤンゴンに家がある。そこには祖父の軍刀がある。
 日本人なら合法的にヤンゴンに入れるだろう。
 家にいって軍刀を研いで欲しいんだ。」
それに対して富田さんは「ヤンゴンに行ったって君の家はどこだかわからないよ。」
キンジョウ君はこう答えた。「ヤンゴンには知り合いがいる。家がどこにあるか案内させるよ。」

難民たちを含め、あの戦争で民族のために独立をかけて日本人とともに戦った
歴史をビルマの人は知っている。
しかし日本人はアウン・サン・スーチーさんのことはニュースで知っていても
このような歴史があったことは知らないだろう。
「いまのビルマ政府の基礎を作ったのは日本軍だから
 日本が今の状態を無視することはできない。」(山路徹さん)
日本がこれからミャンマー軍事政権に対して何を求めどんな手段を使って外交をするのかは
はっきりいってわからない。
そしてスーチーさんにどんな支援をするのかもわからない状態だ。
政府からしてこんなだから、長井健司さんが銃殺死されたことも
そのときに持っていたカメラが遺族に返されていないことも
忘れ去られるかもしれない。(マスコミは中国と北朝鮮で頭がいっぱいのようだし)
山路さんとAPF通信社はこれからもこの事件を忘れさせないために
これからもビルマの取材を続けて行く。(おわり)

サポーター・カンパ募集中!「APF通信社」
http://www.apfnews.com/supporters/
報告会のオープニングで流された映像です。

人気ブログランキングへ