ジャーナリスト入門講座に行く前にポックリ寺へ

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10月9日、大阪のホテルで7時に起床。ジャーナリスト養成講座は13時から始まるのでまだ時間はあるので
奈良・斑鳩(いかるが)のポックリ寺として知られている
吉田寺(きちでんじ)に行くことにした。
旅に出る前に古本屋で偶然見つけた
「社会部記者レポート・安宅クル―の再会」(読売新聞大阪社会部編・角川文庫・1984年)を読んだことからだった。
伊藤忠商事との合併で消滅した安宅産業のボート部OBたちが
1年ぶりに再会し、ボートを漕ぐまでの話をまとめた表題作のほかに、
「ポックリ寺の四季」の話があった。
吉田寺にポックリ祈祷をする人々から取材を重ねることで、
「老い」と「死」、そして介護問題を浮き彫りにした特集記事だった。
妻の介護を長年続けながら、最後は病院で死なせたことで
「最後まで自分で介護したかった」との悔いを残した。
だからこれからの人生は妻と一体になって生きると語った人。
脳梗塞を患いながらも日常生活に支障なしと判断されたことから
入院を断られ、自分たちの生活のために押し入れで過ごさざるを得ない母親の安らかな死を願う夫婦など、
昔(1980年代だが)もいまもこれらの問題は変わっていないと感じ、
その吉田寺はなぜポックリ寺なのかということに関心が湧いた。
場所はJRの王寺が最寄り駅だとのことで、
関西本線にのって王寺へ。さらに法隆寺前行きの奈良交通バスに乗り
龍田神社前」バス停を降りると、

この看板通りにまっすぐ歩くとすぐに吉田寺が見えた。

入口前にこの看板があったがわかりづらいので
後で調べてみたら、吉田寺は

「永延元年(987年)に
恵心僧都源信が寺を創建したとされる。ぽっくり寺のいわれは、恵心僧都が、母の臨終に際し、
祈願をした衣服を着せかけるとなんの苦しみもなく往生をしたといわれることからである」
とのこと。
長い歴史の間に多くの人々が安らかな死を願ってこの寺を頼ってきたことがわかる。

写真左が本堂、右は室町年間に建てられた多宝塔。
規模は小さいが、参拝する人は本堂から受付に入り
御祈祷を受けるようになっている。
私は百円だして本堂のまえで手を合わせて祈る。
雨が降っていたためか人ひとりいなかった。
でもかえって静かな雰囲気に心は安らいだ。

最後にこの写真を。放生池という池で
毎年9月1日の放生会のときにはコイや金魚などをこの池に放流するとのこと。
たしかに池も静かだった。
まさにすべての生きるものの最期を優しく迎える雰囲気がこの寺に感じた。
この記事は下記のブログを一部参照しました。

http://www.lococom.jp/article/A29/14/25/21836/267470/L/

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